推し活聖地巡礼

「バレーボール」​の​聖地巡礼|春高バレーの​東京体育館、​東洋の​魔女の​駒沢と​貝塚、​SVリーグ決勝の​横浜まで​【推し活×聖地巡礼】

毎年1月、東京・千駄ケ谷の東京体育館で、高校バレーの日本一を決める「春高バレー」が開かれます。2027年の第79回大会は1月4日に開幕し、10日が男女の決勝です。1日目から4面のコートで計24試合が続き、準決勝からはアリーナの中央に1面だけの特設コートが組まれます。

春高バレーの会場である東京体育館から、五輪やSVリーグの舞台まで、日本のバレーボールの歩みが各地にあります。1964年の東京五輪で「東洋の魔女」が金メダルを決めた駒沢(こまざわ)の屋内球技場は、その出発点です。チームが生まれた大阪府貝塚(かいづか)市の工場の旧事務所や、2021年の五輪会場も残っています。横浜には2026年にプロリーグ「SVリーグ」の決勝が開かれた2会場があり、2027年1月にオールスターが予定されている北海道の球場まで全部で9か所です。

大きな体育館の前で応援タオルを手にする三人の若い女性のイラスト

春高の東京体育館から、駒沢(こまざわ)・有明・横浜・貝塚(かいづか)・北広島まで、バレーボールの舞台9か所

東京の5か所は千駄ケ谷と原宿・世田谷区の駒沢・湾岸の有明とお台場に分かれています。横浜には二つのアリーナがあり、大阪府貝塚市は、南海本線の貝塚駅とJR阪和線の東貝塚駅がある町です。北海道北広島市の球場では、2027年1月にSVリーグのオールスターゲームが開かれます。

会期・営業時間・チケットは執筆時点の情報です。お出かけ前に各公式サイトで最新の情報を確認してください。

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バレーボールの聖地の訪問先9か所東京都渋谷区・東京都世田谷区・東京都江東区・東京都品川区・神奈川県横浜市中区・神奈川県横浜市港北区・大阪府貝塚市・北海道北広島市
公式イベント公開の記念施設

① 東京体育館

2011年から春高バレーの会場です。第79回大会は2027年1月4日に開幕し、10日に男女の決勝が行われます。

東京体育館を詳しく

② 代々木第一体育館

2010年までの春高の会場です。2023年10月7日、男子日本代表がここでパリ五輪の出場権を決めました。

代々木第一体育館を詳しく

③ 駒沢オリンピック公園

1964年10月23日、日本女子がソ連を破って金メダルを決めた屋内球技場と、無料の記念ギャラリーがあります。

駒沢オリンピック公園を詳しく

④ 有明アリーナ

2021年の東京五輪で、男女のバレーボールが行われたアリーナです。2022年8月から一般の催しに使われています。

有明アリーナを詳しく

⑤ 潮風公園(しおかぜこうえん)

2021年の東京五輪で、ビーチバレーボールの仮設会場が置かれた海辺の都立公園です。

潮風公園を詳しく

⑥ 横浜BUNTAI

1964年五輪のバレー会場だった横浜文化体育館の後継です。2026年4月にSV女子の決勝が開かれました。

横浜BUNTAIを詳しく

⑦ 横浜アリーナ

2026年5月15日から17日のSV男子決勝で、大阪ブルテオンが初優勝を決めたアリーナです。

横浜アリーナを詳しく

⑧ 貝塚市歴史展示館

「東洋の魔女」の日紡貝塚が所属した紡績工場の旧事務所です。チームの写真や資料を展示しています。

貝塚市歴史展示館を詳しく

⑨ エスコンフィールド

2027年1月30日、SVリーグのオールスターゲームが開かれる予定の球場です。「ハイキュー!!」とのコラボもあります。

エスコンフィールドを詳しく

1東京体育館|1月の春高バレーで、高校日本一が決まるメインアリーナ

金属の大屋根の体育館へ向かう女性二人と男性一人のイラスト

東京都渋谷区千駄ケ谷1-17-1の東京体育館は、1956年10月に開館した旧体育館を建て替えた施設です。旧体育館は1964年の東京五輪で体操と水球の会場になりました。1986年12月に全面改築が始まり、新しい体育館は1990年4月に開館しています。2021年の東京五輪とパラリンピックでは卓球の会場でした。

メインアリーナの競技フロアは3,220平方メートル、天井の高さは27メートルあります。観覧席は最大9,308席で、バレーボールの公式コートなら4面を同時に取れる広さです。2016年にはリオデジャネイロ五輪のバレーボール世界最終予選が、この体育館で開かれました。

1月の主役は、全日本バレーボール高等学校選手権大会、通称「春高バレー」です。2011年の大会で開催が3月から1月へ移ると同時に、会場も代々木第一体育館からこの東京体育館に変わりました。

2027年の大会名は「ジャパネット杯 春の高校バレー」です。1月4日(月)は開会式と1回戦、5日(火)は1回戦と2回戦、6日(水)は2回戦が行われます。7日(木)に3回戦と準々決勝を終えると、8日は試合のない日です。9日(土)に男女の準決勝4試合、10日(日)に男女の決勝2試合と閉会式が、1面の特設コートで行われます。

主催は日本バレーボール協会・全国高等学校体育連盟・フジテレビ・産経新聞・サンケイスポーツ・FNS28局です。2026年1月の第78回大会では、男女各52チーム、計104チームが勝ち抜きのトーナメントで戦いました。3位決定戦はありません。スポーツブルが男女の全試合を配信し、準決勝と決勝はフジテレビの地上波で放送されました。

第78回大会の名物企画は、各出場校が応援の「情熱パフォーマンス」を寄せる「情熱BOX」です。各校の応援はフジテレビのバレーボール公式SNSで紹介され、気に入った応援への投票が1月5日から14日まで行われました。最寄りはJR総武線の千駄ケ谷駅と、都営大江戸線の国立競技場駅です。A4出口を出ると、すぐ目の前が体育館です。

場所
東京都渋谷区千駄ケ谷1-17-1
競技との関係
2011年から毎年1月に全日本バレーボール高等学校選手権大会「春高バレー」が開かれるメインアリーナ
最寄り駅
JR総武線千駄ケ谷駅、都営大江戸線国立競技場駅A4出口すぐ
主な予定
第79回大会は2027年1月4日〜7日、9日・10日に開催予定
所在地千駄ケ谷1-17-1、毎年1月の春高バレーの会場

出典:東京体育館・歴史・沿革 / 東京体育館・メインアリーナ / 東京体育館・主な大会 / 日本バレーボール協会・2016リオ五輪世界最終予選 大会概要 / web Sportiva・春高バレー2015 / Number Web・1月開催で春高バレーは真の日本一決定戦に(2011年1月2日) / 春高バレー公式サイト・大会概要(第79回) / リセマム・春高バレー2026開幕(2026年1月6日) / 春高バレー公式サイト・情熱BOX / 東京体育館・交通アクセス

2国立代々木競技場 第一体育館|2010年までの春高の会場と、パリ五輪の出場権が決まった吊り屋根

反り返った吊り屋根の体育館の前の広場を話しながら歩く女性二人のイラスト

東京都渋谷区神南2-1-1の国立代々木競技場は、1964年の東京五輪のために建てられました。設計は建築家の丹下健三らです。2本の主柱をメインワイヤーロープで結び、そこから屋根全体を吊り下げる構造が特徴です。完成は、五輪まで39日を残した1964年8月31日のことでした。五輪では第一体育館が水泳、第二体育館がバスケットボールの会場でした。

第一体育館は大会後、夏はプール、冬はアイススケート場として一般に開かれました。1977年11月には、スケートリンクの上に床を仮設して「第2回バレーボールワールドカップ'77大会」を開いています。公式の沿革は、完成から13年を経て、この床の活用が多目的な利用の道を開いたと記しています。現在は、1年を通じてフロアが敷かれた体育館です。

春高バレーは、2010年まで代々木第一体育館が会場でした。スタンド席は1階席と2階席で8,636席です。アリーナに仮設席を並べると最大4,124席が加わり、合計は12,898席になります。観客の主な入口は、原宿駅に近い北向きの原宿口です。

2023年9月30日から10月8日には、この体育館で男子のパリ五輪予選が開かれました。大会名は「FIVBパリ五輪予選/ワールドカップバレー2023」です。出場は日本・アメリカ・スロベニア・セルビア・トルコなど8チームで、総当たり戦の上位2チームがパリ五輪へ進む方式でした。

日本は10月7日のスロベニア戦を25対21・25対22・25対18のストレートで制し、出場権を決めました。最終順位はアメリカに次ぐ2位で、男子が五輪予選で自力の出場権を取ったのは16年ぶりです。女子の予選も同じ会場で開かれましたが、トルコとブラジルに敗れて出場権には届きませんでした。女子は翌2024年のネーションズリーグで世界ランキングのポイントを積み、パリ五輪への出場を決めています。最寄りはJR山手線の原宿駅で、歩いて約5分です。

場所
東京都渋谷区神南2-1-1
競技との関係
2010年までの春高バレーの会場で、2023年10月7日に男子日本代表がパリ五輪の出場権を決めた体育館
アクセス
JR山手線原宿駅から徒歩約5分
観客席
1階・2階スタンド席8,636席、アリーナ仮設席を含め最大12,898席
所在地神南2-1-1、2010年までの春高の会場

出典:国立代々木競技場・歴史 / 国立代々木競技場・第一体育館 / 国立代々木競技場・施設案内 / Number Web・1月開催で春高バレーは真の日本一決定戦に / 日本バレーボール協会・FIVBパリ五輪予選/ワールドカップバレー2023 男子大会 / 日本バレーボール協会・同大会の試合結果 / 日本バレーボール協会・男女日本代表のシーズン総括 / 日本バレーボール協会・FIVBパリ五輪予選の組合せ決定

3駒沢(こまざわ)オリンピック公園総合運動場|「東洋の魔女」が金メダルを決めた屋内球技場と、記念ギャラリー

緑の多い公園の中の体育施設の前を歩く男性と女性のイラスト

東京都世田谷区の駒沢オリンピック公園は、1964年東京五輪の第2会場です。陸上競技場、体育館、屋内球技場など6施設が整備されました。五輪では体育館がレスリング、屋内球技場がバレーボール、陸上競技場がサッカーの会場でした。第一・第二球技場と補助競技場では、ホッケーが行われました。

バレーボールとの縁は五輪より前から続いています。1958年の第3回アジア競技大会では、新設のコートがバレーボール会場になりました。1967年のユニバーシアード東京大会でも、バレーボールの会場に選ばれています。

バレーボールのメイン会場だった屋内球技場は、2014年度から2016年度にかけて改築され、2017年7月にリニューアルオープンしました。仮設の800席を含めて2,358人が入れるスタンドがあり、6人制と9人制の公式コートを2面取れます。シッティングバレーボールなら3面です。

1964年10月23日午後7時37分、この会場で日本女子とソ連の試合が始まりました。日本はここまでアメリカ・ルーマニア・韓国・ポーランドに勝ち、優勝をかけてソ連と向き合います。第1セットは序盤にリードを許しながら15対11で取り、第2セットも15対8で連取します。

武器は、手元で揺れる変化球のサーブと、得意の回転レシーブでした。第3セットは14対9でマッチポイントを迎えますが、そこからソ連が追い上げます。最後は宮本恵美子(みやもとえみこ)の左腕から放ったサーブがソ連のレシーブを乱し、ソ連のオーバーネットの反則を誘いました。15対13のストレートで、金メダルが決まります。

決勝のテレビ中継の視聴率は66.8%を記録しました。スポーツ中継として今も破られていない数字です。男子は同じ大会で、ソ連、チェコスロバキアに次ぐ3位に入りました。

同じ運動場には、「東京オリンピックメモリアルギャラリー」があります。1993年10月、体育館の全面改築と同時に開設され、2013年6月に展示を新しくしました。入場は無料で、開館は9時30分から17時までです。休館は原則として第1・第3月曜日(祝日の場合は翌火曜日)と年末年始です。

展示の章「熱戦の舞台となった駒沢」では、日本女子バレーボールチームの優勝の場面を紹介しています。当時の公式ユニホームとジャージ、4種類の大会公式ポスター、開会式から閉会式までの名場面も展示の一部です。近代オリンピックの歴史をたどる章もあります。体験のコーナーは、聖火リレーのトーチを持って撮影できるフォトスポットと、大会当時の昭和の茶の間と濡れ縁を再現した一角です。

駒沢体育館は2023年4月から改修され、2025年7月6日に再び使えるようになりました。競技用のLED照明と国産材のアリーナ床を入れ、観客席には東京2020大会のアクアティクスセンターの座席を再利用しています。再開の日には、ギャラリーで1964年大会のレガシーの展示と、特別展示「日本レスリングの軌跡」が開かれました。最寄りは東急田園都市線の駒沢大学駅で、歩いて15分ほどです。

場所
東京都世田谷区駒沢公園1-1
競技との関係
1964年10月23日に日本女子がソ連を破って東京五輪の金メダルを決めた屋内球技場と記念ギャラリーがある運動場
アクセス
東急田園都市線駒沢大学駅から徒歩約15分
記念ギャラリー
東京オリンピックメモリアルギャラリーは9時30分〜17時開館、第1・第3月曜日と年末年始休館、入場無料
所在地駒沢公園1-1、1964年東京五輪のバレーボール会場

出典:駒沢オリンピック公園総合運動場・歴史・沿革 / 駒沢オリンピック公園総合運動場・屋内球技場 / 東京都公園協会・駒沢オリンピック公園 / 貝塚(かいづか)市・1964年東京オリンピック(東洋の魔女の歴史) / 文春オンライン・〈視聴率66.8%〉戦後復興の願いを背負った“東洋の魔女” / 日本バレーボール協会・オリンピック男子の記録 / 日本バレーボール協会・オリンピック女子の記録 / 駒沢オリンピック公園総合運動場・東京オリンピックメモリアルギャラリー / 東京都・駒沢体育館リニューアルオープンイベント開催(2025年5月27日)

4有明アリーナ|2021年の東京五輪で、男女のバレーボールが行われた会場

湾岸の大きなアリーナの前の広場を歩く男性二人のイラスト

東京都江東区有明1-11-1の有明アリーナは、東京2020大会のために東京都が新しく整備したアリーナです。完成披露式典は2020年2月2日に開かれ、大会での収容人数は1万5,000人です。五輪ではバレーボール、パラリンピックでは車いすバスケットボールの会場になりました。

東京2020大会は1年延期され、2021年に開かれました。ここでのバレーボールは、男子が7月24日から8月7日、女子が7月25日から8月8日までの日程でした。出場は男女各12チームで、6チームずつ2組の総当たりの予選から、準々決勝・準決勝・決勝へ進む方式です。1964年の駒沢(こまざわ)から57年後、東京で2度目の五輪バレーボールの舞台になりました。

大会後は仮設物を撤去し、2022年8月に開業しました。運営は、電通グループを代表企業とする株式会社東京有明アリーナです。メインアリーナは約4,100平方メートルあります。今はコンサートやバスケットボールのBリーグの試合にも使われています。最寄りはゆりかもめの新豊洲駅と有明テニスの森駅で、どちらも歩いて約8分です。

場所
東京都江東区有明1-11-1
競技との関係
2021年に開催された東京2020大会で男女のインドアバレーボールが行われたアリーナ
アクセス
ゆりかもめ新豊洲駅・有明テニスの森駅から徒歩約8分
施設規模
メインアリーナ約4,100平方メートル、東京2020大会時の収容人数は1万5,000人
所在地有明1-11-1、2021年東京五輪のバレーボール会場

出典:東京都・東京2020大会の競技会場(有明アリーナ) / 日本バレーボール協会・第32回オリンピック男子大会 / 日本バレーボール協会・第32回オリンピック女子大会 / 東京都・都立スポーツ6施設ファクトシート / 有明アリーナ・会社概要 / 有明アリーナ・アクセス

5潮風公園(しおかぜこうえん)|2021年の東京五輪で、ビーチバレーボールの仮設会場になった海辺の公園

吊り橋と高層ビルを望む海辺の公園の遊歩道を歩く女性二人と男性一人のイラスト

東京都品川区東八潮の潮風公園は、1974年6月1日に開園した東京都の海上公園です。お台場海浜公園や船の科学館と隣り合い、レインボーブリッジを背にした東京港の景色が広がります。対岸の大井と品川のコンテナ埠頭に並ぶガントリークレーンや、伊豆・小笠原諸島へ向かう船も見えます。

2021年の東京五輪では、この公園にビーチバレーボールの競技会場が仮設で整備されました。大会での収容人数は1万2,000人です。公園は準備工事と大会運営の間、施設の利用を休止しました。会場の撤去と原状回復の工事を経て、公園は再び開かれました。2022年7月21日には、しおかぜ橋を渡って南北のエリアを行き来できるようになっています。

仮設の会場はすでになく、今はバーベキュー場などがある海辺の公園です。有明アリーナのインドアと、潮風公園のビーチを合わせると、2021年の五輪のバレーボールを二つの会場でたどれます。最寄りはゆりかもめの台場駅で、歩いて約5分です。

場所
東京都品川区東八潮1・2番
競技との関係
2021年の東京五輪で収容人数1万2,000人のビーチバレーボール仮設会場が設けられた海上公園
アクセス
ゆりかもめ台場駅から徒歩約5分
現在の姿
仮設会場撤去と原状回復を終え、バーベキュー場や遊歩道を備える海辺の都立公園として開園
所在地東八潮1・2番、2021年東京五輪のビーチバレーボール会場

出典:東京都・東京2020大会の競技会場(潮風公園) / 海上公園なび・潮風公園

6横浜BUNTAI|1964年五輪のバレー会場の跡に建ち、2026年にSV女子の決勝が開かれたアリーナ

街なかの新しいアリーナの前でスマートフォンを手に立つ女性のイラスト

横浜市中区不老町の横浜BUNTAIは、旧横浜文化体育館の再整備で生まれたアリーナです。旧体育館は横浜開港100年祭の記念事業として、久米建築事務所の設計で1962年に完成した建物です。開館した年には東京五輪に向けたバレーボールの強化練習に使われ、1964年の本番でもバレーボールの会場になりました。

「文体」の愛称で58年間親しまれた旧体育館は、2020年9月6日に閉館しました。新しいアリーナは2024年4月に開館し、約5,000席の観客席と、約2,530平方メートルのアリーナがあります。名前は市民からの公募に寄せられた「横浜」「文体」「BUNTAI」への思いを生かして決まりました。

2026年4月25日と26日には、SVリーグ女子のチャンピオンシップ決勝がここで開かれました。チャンピオンシップは、レギュラーシーズンの上位クラブがトーナメントでシーズンの王者を決める大会です。レギュラーシーズン2位のSAGA久光スプリングスは、準々決勝で群馬グリーンウイングス、準決勝でPFUブルーキャッツ石川かほくを破って決勝に進みました。

決勝の相手は、前年の王者・大阪マーヴェラスです。SAGA久光は第1戦をフルセットの3対2、第2戦を3対0で連勝し、SVリーグ女子の2代目の王者として初優勝を決めました。チャンピオンシップのMVPには、SAGA久光の西村弥菜美選手が選ばれています。

この決勝のコートには、2色の木目柄にSVリーグのテーマカラーである金色を配した、特別仕様の床材「タラフレックス」が敷かれました。同じ床は5月の男子決勝でも使われています。最寄りはJR京浜東北・根岸線の関内駅で、南口から歩いて約6分です。横浜市営地下鉄の伊勢佐木長者町駅からは約4分です。

場所
神奈川県横浜市中区不老町2-7-1
競技との関係
1964年東京五輪のバレーボール会場だった旧横浜文化体育館の跡地に建ち、2026年4月にSVリーグ女子の決勝を開催
アクセス
JR根岸線関内駅南口から徒歩約6分、横浜市営地下鉄伊勢佐木長者町駅から徒歩約4分
施設規模
2024年4月開館、観客席約5,000席、アリーナ面積約2,530平方メートル
所在地不老町2-7-1、旧横浜文化体育館の跡に建つアリーナ

出典:文化庁・近代の文化遺産「横浜文化体育館」 / 横浜市・新アリーナ「横浜BUNTAI」潜入レポート / 横浜BUNTAI・施設案内 / 横浜BUNTAI公式サイト・アクセス /SV.LEAGUE・SAGA久光スプリングスがチャンピオンシップ優勝(2026年4月26日) / SV.LEAGUE・Finalsのオリジナルフロア

7横浜アリーナ|2026年5月、大阪ブルテオンがSV男子の初優勝を決めたアリーナ

夜のガラス張りの大きなアリーナの前を歩く男性と女性のイラスト

横浜市港北区新横浜3-10の横浜アリーナは、1989年の横浜市制100周年と開港130周年の記念事業として建設されました。最大収容人員は1万7,000人です。新横浜駅から歩いて4〜5分で、市営地下鉄・相鉄・東急・JR横浜線・東海道新幹線の駅が使えます。

2026年5月15日から17日には、SVリーグ男子のチャンピオンシップ決勝がここで開かれました。2戦先勝方式で、レギュラーシーズン1位のサントリーサンバーズ大阪と、準決勝でジェイテクトSTINGS愛知を破った2位の大阪ブルテオンの対戦です。同じ大阪のクラブどうしの決勝でした。

大阪ブルテオンは第1戦を1対3で落としましたが、第2戦をフルセットの3対2で取り返します。第3戦は3対0で勝ち、SVリーグ男子の2代目の王者になりました。チャンピオンシップのMVPは西田有志選手です。優勝セレモニーでは、トロフィーとチャンピオンバナー、優勝賞金3,000万円が贈られました。

場所
神奈川県横浜市港北区新横浜3-10
競技との関係
2026年5月15日〜17日にSVリーグ男子のチャンピオンシップ決勝が開かれ、大阪ブルテオンが初優勝を決めた会場
アクセス
新横浜駅から徒歩4〜5分
最大収容人員
1万7,000人
所在地新横浜3-10、2026年5月のSV男子決勝の会場

出典:横浜アリーナ・会社情報 / 横浜アリーナ・アクセス / SV.LEAGUE・2025-26 MEN CHAMPIONSHIP Finals / SV.LEAGUE・大阪ブルテオンがチャンピオンシップ優勝

8貝塚(かいづか)市歴史展示館|日紡貝塚の資料が並ぶ、紡績工場の旧事務所

庭木に囲まれた平屋の古い建物の前の小道で振り返る女性のイラスト

大阪府貝塚市半田138-1の貝塚市歴史展示館は、1935年に建てられた紡績工場の事務所です。建てたのは大日本紡績(のちのニチボー、現在のユニチカ)で、貝塚工場の事務所として使われました。設計は橋本勉建築事務所、施工は竹中工務店です。L字型の木造平屋で、床面積は約325平方メートルあります。2005年、ユニチカが事務所を改修し、表門から前庭までの一画を市に寄贈しました。

窓の上下には、コーニスと呼ばれる飾り縁が建物を一周しています。緩い勾配の屋根と合わさって、低く水平に伸びる外観です。この建物は2007年5月15日に、国の登録有形文化財に登録されました。正面入口の両側の腰窓にはスクラッチタイルが貼られています。東側の入口の車寄せは、昭和天皇の来訪を予定して造られたといわれています。

館内の展示室は二つです。1935年建築のA展示室では、貝塚の近現代の史料と、地域の産業を支えた紡績の器具を見られます。1945年建築のB展示室に並ぶのは、「東洋の魔女」と呼ばれたニチボー貝塚の資料です。選手たちの試合の写真や、紡績工場の様子、昔の貝塚の風景も写真で紹介しています。選手たちが練習した体育館の床の一部も、展示品のひとつです。東京2020大会の聖火リレーで使われたトーチを持って、記念撮影ができるフォトスポットもあります。

貝塚市の資料には、日紡貝塚の歓迎会を南海貝塚駅前と、この工場事務所の前で開いた写真が載っています。開館は、平日が正午から18時まで、土日などは10時から16時までです。休館日は火曜日と祝日で、年末年始(12月29日から1月3日)も休みます。JR阪和線の東貝塚駅から、北西へ歩いて約5分です。

工場の歴史は大正時代にさかのぼります。合併前の摂津紡績が1916年、今の貝塚市脇浜に工場用地を買いましたが、建設は進みませんでした。1933年、阪和電鉄(現在のJR阪和線)沿いの貝塚町半田の土地約4万9千坪との交換が決まります。1935年2月に第一工場、1936年4月に第二工場が完成し、操業が始まりました。

建設費約391万円のうち24万円余りは、当時の貝塚町が負担しています。町の一般会計の歳出の約40%にあたる額でした。この工場で生まれた女子バレーボールチームが、のちに「東洋の魔女」と呼ばれる日本代表の中心になります。

1962年の世界選手権の帰りに、チームはアメリカ・ロサンゼルスで親善試合を行いました。招かれたカリフォルニア州カルバーシティ市では、市を挙げての歓迎を受けています。この縁で、貝塚市は1965年4月29日にカルバーシティ市と姉妹都市の提携を結んでいます。

場所
大阪府貝塚市半田138-1
競技との関係
「東洋の魔女」と呼ばれた日紡貝塚が所属した大日本紡績貝塚工場の旧事務所で、チームの資料や体育館の床の一部を展示
アクセス
JR阪和線東貝塚駅から北西へ徒歩約5分
開館時間・休館日
平日正午〜18時・土日など10時〜16時、火曜日・祝日・年末年始休館
所在地半田138-1、JR阪和線・東貝塚駅から徒歩5分

出典:大阪府建築士会「建築人」2007年2月号・貝塚市歴史展示館(PDF) / 貝塚観光ボランティアガイド協会・歴史展示館 / 貝塚市・日紡貝塚チームの欧州遠征と第4回世界選手権 / 貝塚市・貝塚市歴史展示館(国登録有形文化財) / 貝塚市・歴史展示館休館日 / 貝塚市・大日本紡績株式会社貝塚工場の新設 / 貝塚市・日紡貝塚チームの誕生 / 貝塚市・姉妹都市カルバーシティー市

9エスコンフィールドHOKKAIDO|2027年1月30日、SVリーグのオールスターと「ハイキュー!!」のコラボ

ガラス張りの大きな屋根の球場の前の広場を歩く女性二人と男性一人のイラスト

北海道北広島市Fビレッジ1番地のエスコンフィールドHOKKAIDOは、北海道日本ハムファイターズの球場です。2023年3月、球場を含むエリア「HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE」が誕生しました。2027年1月30日(土)、この球場で「エムット presents SV.LEAGUE ALL STAR GAMES 2026-27 HOKKAIDO」が開かれる予定です。男子は13時30分から、女子は17時30分から試合が組まれています。

出場するのは、ファン投票とリーグの推薦で選ばれる男女各28人の選手と、男女各2人のヘッドコーチです。ファン投票は2026年10月16日に始まり、11月16日の10時に締め切られます。出場選手の発表は11月20日、チーム分けの発表は12月中旬から下旬の予定です。

会場では、集英社の漫画「ハイキュー!!」とのコラボレーションが予定されています。キャラクターのフォトスポットと着ぐるみのグリーティングがあり、アニメで主人公・日向翔陽の声を担当する村瀬歩さんも出演します。場内放送には、村瀬さんの録りおろし音声を使う予定です。

チケットは、SVリーグ公式の「チケットV」と、北海道日本ハムファイターズ公式の「Fチケ」で購入できます。アリーナの席などは男女の試合ごとの入れ替え制で、購入した試合以外の時間は自由席で観戦できます。

場所
北海道北広島市Fビレッジ1番地
競技との関係
2027年1月30日に「エムット presents SV.LEAGUE ALL STAR GAMES 2026-27 HOKKAIDO」を開催予定の球場
試合開始予定
男子は13時30分、女子は17時30分
主な企画
漫画「ハイキュー!!」とのコラボフォトスポット、着ぐるみグリーティング、日向翔陽役の声優・村瀬歩さんの出演と場内放送
所在地Fビレッジ1番地、2027年1月30日にSVリーグのオールスター

出典:SV.LEAGUE・ALL STAR GAMES 2026-27 HOKKAIDO特設サイト / HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE・Fビレッジについて / SV.LEAGUE・『ハイキュー!!』とのコラボレーションを2026-27シーズンも実施(2026年8月19日)

もっと知る|「東洋の魔女」をつくった監督・選手と、回転レシーブ

駒沢(こまざわ)と貝塚(かいづか)の展示の主役は、大阪府貝塚市の紡績工場で働きながら練習した女子チームです。工場のチームが世界一になるまでの道のりと、そのチームを支えた人物、生み出した技が記録に残っています。

紡績工場の職場スポーツから、日紡貝塚(かいづか)の結成へ

バレーボールは1895年、女性や子どもが気軽に楽しめる運動としてアメリカで考え出されました。日本に紹介されたのは18年後の1913年です。ルールが固まらないうちに日本独自の形で広まり、1チームの人数は16人から12人、9人へと変わりました。

大日本紡績は1923年、職場のリフレッシュのためのスポーツとしてバレーボールを取り入れました。女子チームが最初に名を上げたのは、清水節二監督が率いる尼崎工場のチームです。1937年から全日本女子総合選手権を3連覇しました。戦後は足利工場のチームが、1951年から全日本実業団大会を3連覇しています。

1953年11月27日、新しい貝塚工場に会社を代表する女子チームを置くことが決まり、大松博文(だいまつひろぶみ)が監督に就きました。「2年で日本一のチームを」という大松の思いから、1954年3月15日に通称「日紡貝塚」が発足します。新卒の選手が中心で、全国的な大会では8位に入るのがやっとでした。

猛練習の成果は1955年に表れます。発足から1年余りで全日本9人制実業団女子選手権に初優勝し、同じ年に総合選手権と国民体育大会も制しました。1958年には、当時の4大タイトルをすべて獲得します。総合選手権は6人制と9人制の両方で勝ち、どのチームも取ったことのない五つの覇権を握りました。

国内に取るべきタイトルがなくなると、大松の目は海外へ向かいます。当時の日本は9人制が中心で、世界のほとんどの国は6人制でした。チームは6人制に切り替え、1960年にブラジルで開かれる第3回世界選手権を目標にしました。

出典:貝塚市・日紡貝塚以前のバレーボール / 貝塚市・日紡貝塚チームの誕生

大松博文(だいまつひろぶみ)・河西昌枝(かさいまさえ)と、東京五輪の代表選手

大日本紡績は1964年4月26日に社名をニチボーに改め、チームの呼び名もニチボー貝塚(かいづか)になりました。同じ年の8月31日、日本バレーボール協会は東京五輪の女子代表を発表します。12人のうち10人がニチボー貝塚の選手です。残る2人は、ヤシカの渋木綾乃と倉紡倉敷の近藤雅子でした。

大松博文(だいまつひろぶみ)

日紡貝塚と1964年の日本女子の監督です。1941年に大日本紡績へ入社し、1953年に監督に就きました。回転レシーブや変化球サーブを考え、1965年に退くまで175連勝を記録しています。

河西昌枝(かさいまさえ)

日紡貝塚と日本代表の主将で、セッターです。1952年に足利工場へ入り、翌年に貝塚工場へ移りました。東京五輪ではコーチを兼ねて出場し、1965年に引退した後はママさんバレーの指導にも力を注ぎました。

谷田絹子(たにだきぬこ)(現・井戸川絹子(いどがわきぬこ))

大阪の四天王寺高校在学中から日紡貝塚と練習し、そのまま入社した選手です。1960年の世界選手権で銀、1962年に金を取り、東京五輪では全試合に出場しました。

宮本恵美子(みやもとえみこ)

1964年のソ連戦で、第3セットの14対13から、左腕で最後のサーブを打った選手です。このサーブがソ連の反則を誘い、金メダルが決まりました。

松村好子(まつむらよしこ)(現・神田好子(かんだよしこ))

日紡貝塚の選手です。谷田絹子の回想では、何度も試して、チームで一番早く回転レシーブを身に付けました。

松平康隆(まつだいらやすたか)

1964年の東京五輪で、銅メダルを取った日本男子のコーチです。1965年に監督となり、1972年のミュンヘン五輪で男子を金メダルに導きました。

山田重雄(やまだしげお)

東京都立三鷹高校の体育教師から、日立のバレー部の監督になった指導者です。日本女子の監督として、1976年のモントリオール五輪で金メダルを取りました。

代表には、ほかにニチボー貝塚の半田百合子・磯辺サタ・藤本佑子・松村勝美・佐々木節子・篠崎洋子が選ばれています。磯辺サタ(現・丸山サタ)が持つ世界大会の優勝メダルと東京五輪の金メダルは、貝塚市の「東洋の魔女の歴史」のページに写真が載っています。

出典:ユニチカ・沿革 / 貝塚市・1964年東京オリンピック / 貝塚市・欧州遠征と第4回世界選手権 / コトバンク・大松博文(20世紀日本人名事典) / コトバンク・河西昌枝(ブリタニカ国際大百科事典) / web Sportiva・井戸川(谷田)絹子さんが語る1964年 / コトバンク・松平康隆 / コトバンク・山田重雄

起き上がりこぼしから生まれた回転レシーブ

東京五輪の勝利を支えた回転レシーブは、起き上がりこぼしから発想を得た技です。谷田絹子(たにだきぬこ)によると、それまでは野球のスライディングのように滑ってボールを受け、ゆっくり起き上がっていました。9人制なら仲間が補えますが、6人制では拾った選手がすぐ次のプレーに入らなければなりません。

欧州で6人制の試合をすると、日本流のオーバーハンドのレシーブは、ドリブルやホールディングの反則を厳しく取られました。チームは急いでアンダーハンドのレシーブに取り組み、さらに欧米を上回る守りとして回転レシーブにたどり着きます。

大松は「体育館を転がってすぐ起きるレシーブをしろ」と指示しただけで、手本は見せませんでした。見たことのない技を、選手たちは練習を重ねて自分たちで形にします。床に当たる膝や肘、背中は青あざだらけになり、座布団やマフラーを体に巻いて練習したといいます。河西昌枝(かさいまさえ)は、できるようになるまで1年くらいかかったと話していました。

出典:web Sportiva・井戸川(谷田)絹子さんが語る1964年(2ページ目) / コトバンク・大松博文(だいまつひろぶみ)

欧州遠征の「東洋の魔女」から、モスクワの世界一へ

1960年にブラジルで開かれた世界選手権で、日本女子は当時の世界一ソ連に敗れて2位でした。日本代表12人のうち6人が日紡貝塚(かいづか)の選手です。この活躍が評価され、1961年8月から10月には日紡貝塚が単独で欧州遠征に出ました。チェコスロバキアの三大陸選手権で優勝し、親善試合でソ連も破って、22戦全勝の記録を残します。

遠征中の選手たちは、現地の報道で「東洋の魔女」「太平洋の台風娘」と呼ばれました。10月17日に貝塚へ凱旋すると、市中のパレードに全市民が歓呼の声を上げました。谷田絹子(たにだきぬこ)は、勝ち進むにつれて現地の待遇が変わり、勝つことの大切さを思い知ったと振り返っています。

1962年10月、ソ連で開かれた第4回世界選手権に、日本は日紡貝塚の10人を主力に臨みました。決勝リーグでは宿敵ソ連を破り、全勝で優勝します。この世界一は日本でも大きく報じられ、「日本チーム=日紡貝塚」と評されました。

大松と主力の選手は、世界一を機に引退を表明していました。しかし東京五輪で女子のバレーボールが正式競技に決まり、周囲の声に押されて大会まで続けることを決めます。バレーボールは1961年6月のIOCの評決で東京五輪の実施競技に認められ、翌年6月6日の理事会で女子の参加も決まっていました。

出典:貝塚市・日紡貝塚チームの欧州遠征と第4回世界選手権 / コトバンク・東洋の魔女(世界大百科事典) / web Sportiva・井戸川(谷田)絹子さんが語る1964年(3ページ目) / 貝塚市・1964年東京オリンピック

大会の背景|1月の春高、男子代表の歩み、SVリーグと「ハイキュー!!」

東京体育館の春高・代々木の五輪予選・横浜のSVリーグ決勝は、それぞれ別の主催者が運営する大会です。高校・日本代表・プロリーグの三つの舞台を、大会の仕組みからたどります。

3月の選抜大会から、3年生最後の全国大会へ

春高バレーは1970年に始まり、41年間は3月の大会でした。8月のインターハイや10月の国体と並ぶ高校バレーの「三冠」の一つで、フジテレビが全国に中継し、大山加奈や栗原恵など多くの人気選手が生まれています。一方で、3年生が卒業した後の大会のため、出場は1・2年生に限られました。優勝校がその年の最強チームとは言い切れない、という声もありました。

2011年の大会から開催を1月に移したのは、3年生が出場できる大会にするためです。3年生にとっては高校最後の全国大会になり、大会の愛称の「春高バレー」はそのまま残りました。

出典:Number Web・1月開催で春高バレーは真の日本一決定戦に / web Sportiva・春高バレー2015

1964年の銅メダルから、パリ五輪の出場権へ

日本の男子は、1964年の東京五輪で銅メダルを取りました。その大会でコーチを務めた松平康隆(まつだいらやすたか)は、翌1965年に監督となり、「世界制覇8年計画」を立てます。身長1メートル90センチ以上の選手を集めて、チームを大型化しました。速攻のAクイックやBクイック、一人時間差を軸に、日本式のコンビネーションバレーを作り上げます。1968年のメキシコシティー五輪で銀、1972年のミュンヘン五輪で金を取っています。

女子は1968年と1972年に銀を取った後、山田重雄(やまだしげお)監督のもとで1976年のモントリオール五輪を制しました。山田は1964年に日立のバレー部を創設して監督に就き、日本リーグで18度の優勝に導いています。

2023年に代々木の予選でパリ五輪の出場権を取った男子を率いたのは、フィリップ・ブラン監督です。2024年のパリ五輪では準々決勝に進み、最終順位は7位でした。

出典:コトバンク・松平康隆(ブリタニカ国際大百科事典) / コトバンク・山田重雄(20世紀日本人名事典) / 日本バレーボール協会・オリンピック女子の記録 / 日本バレーボール協会・男女日本代表のシーズン総括 / 日本バレーボール協会・FIVBパリ五輪予選の組合せ決定

SVリーグの2026-27シーズンと、首都圏・タイでの開催

SVリーグは、2024-25シーズンに始まった男女のバレーボールの国内トップリーグです。横浜で決まった2025-26シーズンの王者は、男女とも2代目でした。3季目の2026-27シーズンは、女子が10月10日に開幕し、男子は10月17日に開幕します。女子の開幕カードは、SAGA久光スプリングスとアリーザ愛知の対戦です。会場はタイのフアマーク・インドアスタジアムで、SVリーグにとって初めての海外での公式戦でした。

男子は12クラブが総当たりを4回ずつ行い、1クラブあたり44試合を戦います。女子は14クラブを東西のカンファレンスに7クラブずつ分け、1クラブあたり38試合です。このシーズンからは首都圏を重点エリアに定め、開催するカードを増やしています。

出典:SV.LEAGUE・大阪ブルテオンがチャンピオンシップ優勝 / SV.LEAGUE・2026-27シーズンの開催概要(2026年7月1日) /SV.LEAGUE・2026-27シーズン開幕特設サイト

古舘春一の描きおろしと、オールスターの「ハイキュー!!」企画

SVリーグは開幕初年度から、漫画「ハイキュー!!」の作者・古舘春一による描きおろしイラストを使っています。描かれたのは、主人公の日向翔陽と烏野高校のチームメートの影山飛雄、他校のライバルの宮侑と牛島若利です。2026-27シーズンには木兎光太郎・星海光来・佐久早聖臣の3人が新たに描きおろされました。

「ハイキュー!!」と銘打った2026-27シーズンのプロモーション映像は、SVリーグ公式チャンネルで公開されています。2027年1月のオールスターでは、エスコンフィールドHOKKAIDOの会場にキャラクターのフォトスポットが並ぶ予定です。

出典:SV.LEAGUE・『ハイキュー!!』とのコラボレーションを2026-27シーズンも実施 / SV.LEAGUE公式サイト・最新動画

バレーボールの伝来から、春高・五輪・SVリーグまでの歩み

1913年の日本へのバレーボール伝来と1954年の日紡貝塚(かいづか)創部から、1964年東京五輪、春高バレー、2024年のSVリーグ開幕と2026-27シーズンまでを時系列で整理しました。

  1. 1895年アメリカでバレーボールが考案される競技
  2. 1913年日本にバレーボールが紹介される競技
  3. 1923年大日本紡績が職場のスポーツとしてバレーを導入工場
  4. 1935年2月貝塚工場の第一工場が完成する貝塚
  5. 1954年3月15日女子チーム「日紡貝塚」が発足貝塚
  6. 1961年8〜10月欧州遠征で22戦全勝、「東洋の魔女」と報じられる東洋の魔女
  7. 1962年10月ソ連での第4回世界選手権で優勝東洋の魔女
  8. 1964年10月23日駒沢(こまざわ)の屋内球技場で女子が金メダル、男子は銅五輪
  9. 1965年4月29日貝塚市がカルバーシティ市と姉妹都市に貝塚
  10. 1970年春高バレーが3月の大会として始まる春高
  11. 1972年ミュンヘン五輪で男子が金メダル五輪
  12. 1976年モントリオール五輪で女子が金メダル五輪
  13. 1977年11月代々木第一体育館でバレーボールワールドカップ会場
  14. 1993年10月駒沢に東京オリンピックメモリアルギャラリー開設展示
  15. 2005年貝塚工場の旧事務所が市に寄贈され、展示施設に展示
  16. 2011年1月春高が1月開催になり、会場が東京体育館へ春高
  17. 2017年7月駒沢の屋内球技場が改築を終えて再開会場
  18. 2021年7〜8月有明アリーナと潮風公園(しおかぜこうえん)で東京五輪のバレーボール五輪
  19. 2023年10月7日代々木で男子がパリ五輪の出場権を獲得五輪
  20. 2024年4月旧横浜文化体育館の跡に横浜BUNTAIが開館会場
  21. 2026年4月26日横浜BUNTAIでSAGA久光がSV女子の初優勝SVリーグ
  22. 2026年5月17日横浜アリーナで大阪ブルテオンがSV男子の初優勝SVリーグ
  23. 2027年1月4日〜10日第79回春高バレーを東京体育館で開催予定春高
  24. 2027年1月30日エスコンフィールドHOKKAIDOでSVリーグのオールスター開催予定SVリーグ

出典:貝塚市・東洋の魔女(日紡貝塚)の歴史 / 駒沢オリンピック公園総合運動場・歴史・沿革 / 国立代々木競技場・歴史 / 大阪府建築士会「建築人」・貝塚市歴史展示館 / 日本バレーボール協会・オリンピックの記録 / 春高バレー公式サイト・大会概要 / SV.LEAGUE・オールスター特設サイト

研究所メモ|ビジネスの視点から:企業の資料と建物を、市の歴史として公開する

貝塚(かいづか)市は「東洋の魔女(日紡貝塚)の歴史」として、工場の建設から五輪の金メダル、姉妹都市の提携までを6ページで公開しています。写真の多くは、ユニチカ所蔵のパネルや元選手が持つメダルです。ユニチカが寄贈した旧事務所は、チームの歓迎会が開かれた場所で、今はチームの資料を展示しています。

企業が保管してきた写真やメダル、旧事務所の建物を自治体が引き継ぎ、市の歴史展示として公開しているのが貝塚市の特徴です。試合会場が東京にあっても、選手が働き練習した町に実物が残れば、大会の時期に関心を持った人が訪ねられる場所になります。

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出典

よくある質問

春高バレーとはどんな大会ですか?

全日本バレーボール高等学校選手権大会の愛称です。1970年から3月に開かれ、出場は1・2年生だけでした。2011年から1月の開催に変わって3年生も出場できるようになり、会場も代々木第一体育館から東京体育館へ移りました。

2027年の春高バレーはいつ、どこで開かれますか?

JVA第79回全日本バレーボール高等学校選手権大会は、2027年1月4日(月)から7日(木)と、9日(土)・10日(日)に東京体育館で開かれる予定です。9日に男女の準決勝、10日に男女の決勝と閉会式が行われます。

「東洋の魔女」とはどんなチームですか?

大阪府貝塚市の大日本紡績貝塚工場で1954年に生まれた女子チーム「日紡貝塚」と、その選手を中心にした日本代表の呼び名です。監督は大松博文、主将は河西昌枝で、1962年の世界選手権と1964年の東京五輪で優勝しました。

1964年東京五輪の女子バレーの優勝はどこで決まりましたか?

1964年10月23日、駒沢オリンピック公園の屋内球技場で決まりました。日本はソ連に15対11・15対8・15対13のストレートで勝ち、金メダルを獲得しました。屋内球技場は2017年に改築を終え、今も競技に使われています。

東洋の魔女ゆかりの展示はどこで見られますか?

駒沢オリンピック公園総合運動場の東京オリンピックメモリアルギャラリー(入場無料)で、日本女子の優勝の瞬間や公式ユニホームを展示しています。大阪府貝塚市では、日紡貝塚が所属した工場の旧事務所を生かした貝塚市歴史展示館で、チームの写真や資料を見られます。

2021年の東京五輪のバレーボールはどこで行われましたか?

インドアのバレーボールは江東区の有明アリーナで、男子が7月24日から8月7日、女子が7月25日から8月8日まで行われました。ビーチバレーボールの会場は、品川区の潮風公園に仮設で整備されました。

SVリーグの決勝はどこで開かれましたか?

2025-26シーズンのチャンピオンシップ決勝は、女子が2026年4月25・26日に横浜BUNTAIで、男子が5月15日から17日に横浜アリーナで開かれました。女子はSAGA久光スプリングス、男子は大阪ブルテオンが初優勝しました。

SVリーグと「ハイキュー!!」のコラボはどこで楽しめますか?

2027年1月30日にエスコンフィールドHOKKAIDOで開かれるSVリーグのオールスターゲームで、キャラクターのフォトスポットや着ぐるみのグリーティングが予定されています。日向翔陽役の声優、村瀬歩さんも出演します。