推し活クロニクル 安土桃山・江戸前期|推しの役者と出会う。出雲阿国、團十郎と藤十郎の舞台
目を引く衣装や踊りに惹かれ、気づけば一人の演者を追いかけている。推しを見つけるきっかけには、その人だけの姿や動きがあります。
1603年、戦国の世から江戸時代へ移るころの京都で、出雲阿国の「かぶき踊り」が人気を集めました。女性が男の姿で踊るなど、目を引く装いと踊りで知られ、のちの歌舞伎の始まりとなった芸です。
そこから役者ごとの個性が注目され、演技を批評する本も読まれるようになります。推しの演者を見つけ、その評判まで知りたくなるという、今の推し活にも重なる楽しみが育っていきました。

① 衣装と踊りに惹かれる。出雲阿国という人気者
「かぶく」という言葉には、人と違う、目立つ振る舞いをするという意味があります。阿国は、男装や十字架の首飾りを取り入れて踊りました。日本芸術文化振興会の解説には、当時の普通の装いとは異なる姿が紹介されています。歌舞伎舞踊の歴史
今のステージでも、歌を聴く前に衣装やダンスに目が留まることがあります。阿国のかぶき踊りに重ねられるのも、その入口です。演目の名前だけでなく、「あの人の姿をもう一度見たい」と思わせる演者が、舞台の中心にいました。
当時の芸能は、河原や寺社の境内に一時的な舞台を作って演じることが多くありました。阿国は人気を集めたころ、京都の北野神社の境内に専用の舞台を持ったと伝えられています。1607年には、江戸城で踊った記録もあります。歌舞伎事典「出雲の阿国」
京都国立博物館が所蔵する「阿国歌舞伎図屏風」は、阿国が1603年に北野社の能舞台を借りてかぶき踊りを始めた、その舞台を描いたものと考えられています。囃子には三味線がなく、笛や鼓、太鼓だけという初期の姿が見られます。京都国立博物館「阿国歌舞伎図屏風」
② 團十郎か、藤十郎か。演技の持ち味から推しを見つける
17世紀の終わりごろになると、江戸と上方では、違う魅力を持つ役者が活躍します。上方とは、京都や大坂を中心とする地域の呼び名です。
江戸で人気を得た初代市川團十郎は、超人的な力を持った主人公などを豪快に演じました。この表現が「荒事」。対して、上方の初代坂田藤十郎が得意としたのは「和事」です。恋や境遇に悩む色男を、柔らかく、繊細に演じました。日本芸術文化振興会「歌舞伎の成立期」
力強い主人公に胸が躍る人もいれば、恋に悩む表情に心をつかまれる人もいる。同じ歌舞伎でも、推す理由は一つではありません。今の俳優を好きになるときも、アクションに惹かれるか、細やかな感情表現に惹かれるかで、気になる人は変わります。
團十郎は、役者であると同時に、自ら台本を書く作り手でもありました。藤十郎のためには近松門左衛門が多くの台本を書いています。日本芸術文化振興会「生み出した人」 成田屋の公式サイトによると、初代團十郎が1685年の舞台で演じた坂田金平の役を荒事の始まりとする説が有力で、「三升屋兵庫」の名で台本も書きました。成田屋公式サイト「初代 市川團十郎」
役者の持ち味を知ったうえで、台本が作られる。今なら、推しの俳優に合わせて役を書く「当て書き」を思い浮かべると、演者と作り手の関係がわかります。
③ 推しの評判も読みたい。「役者評判記」を開く
推しの舞台を見た帰り道、SNSで名前や公演名を検索する。「あの場面、ほかの人はどう感じたんだろう」と、感想を次々に読んでしまうことはありませんか。
江戸時代にも、役者がどう評価されているかを読める本がありました。「役者評判記」です。役者の芸を批評し、評価を記した、いわば舞台のレビュー集でした。
東京都立図書館が所蔵する1699年刊の『菊の藩架』では、役者を演じる役の種類ごとに分け、格付けし、姿と批評を載せています。名前だけでは分からない得意な役柄や評価まで、読者が読み取れる本でした。東京都立図書館「菊の藩架」 役者評判記はその後も江戸時代を通じて刊行が続き、役者の芸を評価して評判を伝える文化は明治まで受け継がれました。立命館大学アート・リサーチセンター「俳優評判記」
自分が惹かれた演技を、ほかの人はどう見たのか。推しを見たあとにも、楽しみが続きます。SNSのように誰もがすぐ投稿できる仕組みではありませんが、舞台の感想や評価を読む役割を、本が担っていました。
④ 登場人物に心を寄せる。『曽根崎心中』が集めた観客
役者の顔や演技に加えて、物語そのものに心をつかまれる観客もいました。1703年、大坂の竹本座で初演された『曽根崎心中』は、その大きな例です。
これは、人形の動きに、物語を語る声と三味線の演奏を合わせる「人形浄瑠璃」の作品。作者は近松門左衛門です。町に暮らす人々の恋やお金、人間関係を題材とする物語を、舞台にかけました。日本芸術文化振興会『曽根崎心中』
物語のもとになったのは、同じ1703年の4月に大坂で実際に起きた心中事件で、初演はその翌月でした。舞台となった露天神社は、今も「お初天神」の名で知られています。立命館大学アート・リサーチセンター「曽根崎心中」 露天神社「曽根崎心中」ゆかりの地
主人公は、醤油屋で働く徳兵衛と、遊女のお初。徳兵衛は金をめぐる裏切りに遭い、追い詰められていきます。好き合う二人の間には、自分たちの思いだけでは動かせない事情がある。観客が見つめたのは、遠い英雄ではなく、同じ町にいそうな人の苦しみでした。
推しの登場人物が苦しんでいると、その先が気になって目を離せない。ドラマやアニメにもある、登場人物に心を寄せる楽しみ方です。人形浄瑠璃では、人形の動き、語り、三味線が一緒になって感情を伝えます。
公演は大当たりし、苦しかった竹本座の経営を立て直す助けになりました。一つの作品に人が集まれば、劇場は次の舞台を用意できます。日本芸術文化振興会の作品解説
この『曽根崎心中』は、映画『国宝』にも歌舞伎の演目として登場します。江戸時代に人形浄瑠璃として初演された物語が、歌舞伎でも演じられ、いまは映画を通して知る人もいるのです。松竹・映画『国宝』にも登場する『曽根崎心中』
この時代の観客は、役者の演技を楽しみ、物語に引き込まれ、本に記された評判にも触れていました。舞台と出版物の両方で、役者や作品への関心が広がった時代です。
安土桃山・江戸前期の推し活年表
阿国のかぶき踊りから、役者の個性を楽しむ歌舞伎、作品が観客を集めた人形浄瑠璃へ。舞台の変化と、推す楽しみの広がりを並べました。
- 1587年10月秀吉が北野天満宮で北野大茶湯を主催ビジネス
- 1603年出雲阿国が京都でかぶき踊りを演じる舞台
- 1617年江戸で吉原の設置が許可されるビジネス
- 1624年猿若勘三郎が江戸・中橋南地で猿若座を興行舞台
- 1629年女歌舞伎が風俗を乱すとして禁止される舞台
- 1652年若衆歌舞伎が江戸で禁止される舞台
- 1673年初代市川團十郎が『四天王稚立』で荒事を始めるアイドル
- 1678年夕霧太夫が没し『夕霧名残の正月』が生まれるアイドル
- 1684年竹本義太夫が道頓堀に竹本座を開く舞台
- 1699年『役者口三味線』で役者評判記の形式が定まるメディア
- 1703年竹本座が『曽根崎心中』を初演する舞台
- 1704年初代市川團十郎が市村座の舞台上で命を落とすアイドル
- 1714年絵島生島事件で山村座が廃絶、江戸三座にビジネス
安土桃山・江戸前期の芸能と流行の言葉
役者の演技を語る「荒事」「和事」や、装いに関わる「かぶき者」「野郎頭」。舞台の魅力を話すための言葉も育っていきます。
- かぶき者
- 異形の身なりや常識外れの振る舞いをした当時の若者たち。阿国の踊りの題材になった
- 野郎頭
- 若衆歌舞伎の禁止後、前髪を剃り落とした演者の頭髪。野郎歌舞伎の呼び名の由来
- 荒事
- 初代市川團十郎が1673年に始めた、隈取と誇張された豪快な演技を特徴とする様式
- 和事
- 初代坂田藤十郎が完成させた、やわらかい仕草とせりふ回しを特徴とする様式
- 名物
- 茶道具のうち、由緒や逸話によって特に価値づけされた品を指す言葉
「荒事」「和事」は、②で見た演技の持ち味を表します。「野郎頭」は、男性の役者が演じる歌舞伎の歴史とともに登場する髪型の呼び名です。
次は、茶屋の人気者や役者を描いた絵が広まる江戸中期です。推し活クロニクル 江戸中期では、茶屋の人気者や色鮮やかな錦絵、力士の番付が登場します。
参考資料
よくある質問
出雲阿国は、何をした人ですか?
1603年に京都で「かぶき踊り」を演じた人物として知られています。男装などの目を引く姿で踊り、歌舞伎の始まりを担いました。
荒事と和事は、どう違うのですか?
荒事は超人的な力を持つ主人公などを豪快に演じる表現、和事は恋に悩む色男などを柔らかく繊細に演じる表現です。荒事では初代市川團十郎が江戸で、和事では初代坂田藤十郎が上方で人気を集めました。
役者評判記とは、どんな本ですか?
役者の芸を批評し、評価を記した本です。1699年刊の『菊の藩架』には、役柄による分類や格付け、役者の姿と批評が載っています。舞台のレビューや出演者ガイドに近い読み方ができます。
『曽根崎心中』は、どんな作品ですか?
近松門左衛門が書き、1703年に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃です。徳兵衛とお初を主人公にした作品で、大ヒットは苦しかった竹本座の経営を助けました。



