推し活×歴史

推し活クロニクル 江戸後期|推しの柄を身につける。役者の舞台裏と、会えない日の楽しみ

江戸後期の町では、人気の歌舞伎役者が舞台で身につけた紋や柄が、浴衣などの流行にもなりました。観客にとって、芝居へ行く日に何を着るかも楽しみの一つでした。

今なら、ライブに推しの色の服を着ていくような感覚です。推しの役者にちなんだ装い、舞台裏を描いた絵、本で読む物語から、江戸のファンの日常をたどります。

役者ゆかりの柄の布を選ぶ江戸後期の女性

① 推しと同じ柄を身につける。團十郎の「かまわぬ」

鎌の絵と、丸い輪と、ひらがなの「ぬ」。この三つを声に出してつなぐと、「かまわぬ」になります。

これは言葉を絵に置き換える、なぞなぞのような模様。七代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が舞台の衣装に使い、流行したと伝えられています。團十郎の家の紋である「三枡(みます)」をつないだ柄も、浴衣などに用いられました。国立国会図書館「華やかな推し 歌舞伎役者」

おしゃれな柄として見えていたものが、由来を知ると、特定の役者とつながる。ここには、知っている人にだけ伝わる面白さがあります。

今なら、推しの色や作品のモチーフを服や小物に取り入れる感覚に重なります。名前や顔を大きく入れなくても、自分には誰のことかわかる。同じ推しを持つ人なら、柄を見て気づくこともあるでしょう。

舞台からは衣装や髪型、飾り物の流行が生まれ、役者の装いを取り入れる動きが劇場の外にも広がりました。日本芸術文化振興会「歌舞伎とライフスタイル」

② 推しの舞台裏も見たい。楽屋を描いた錦絵

役を演じている姿が好きになると、演じる人自身も気になってきます。舞台に出る前は、どんなふうに支度をしているのでしょうか。

江戸後期には、役者たちの楽屋を描いた錦絵(にしきえ)もありました。1813年の『さかい町中村座楽屋之図』は、演目が始まる前の楽屋の様子を描いた絵です。国立国会図書館・楽屋を描いた錦絵の紹介

本番の推しとは違う表情や、支度をする姿も見たい。今のメイキング写真や動画を楽しむ気持ちに重なります。楽屋図は、舞台裏をそのまま撮った映像ではありません。絵師の表現を通して、客席からは見られない場面を楽しむ絵でした。

役者の素顔や楽屋への関心は、絵本にも広がりました。1780年に勝川春章が出した『役者夏の富士』は、白粉を落とした役者の素顔を描いた絵本です。1829年の『夏の富士』には、稽古の風景や舞台裏も描かれています。贔屓の役者の普段の姿を知りたいという気持ちが、こうした絵を支えていました。立命館大学アート・リサーチセンター「日常姿の役者絵本」

役者を描いた絵は、団扇にも使われました。太田記念美術館が紹介する歌川国芳の団扇絵には、歌舞伎の役者や猫など、多彩な題材があります。太田記念美術館「国芳の団扇絵」

飾って眺めるだけでなく、暑い日に使う団扇にも推しの姿がある。今の推しグッズと同じように、暮らしの道具を選ぶ楽しみにも、役者の人気が入り込んでいました。

③ 推しの物語の続きを借りる。江戸の貸本屋

劇場へ行く楽しみと並んで、家で本を読む楽しみも広がっていました。

江戸には、絵の多い本、笑える本、恋愛を描く本、長い物語など、多彩な読み物がありました。本を買うにはお金がかかるため、作品と読者を結びつけたのが、代金を払って本を借りる「貸本屋」です。

東京都立図書館の解説によると、1808年、江戸には656軒もの貸本屋がありました。同館は、1814年から1842年にかけて刊行された『南総里見八犬伝』も紹介しています。東京都立図書館「江戸の本屋」 この長い物語は、完結する前から歌舞伎や人形浄瑠璃でも上演される人気作でした。立命館大学アート・リサーチセンター「南総里見八犬伝(読本)」

推しの登場人物は、この先どうなるのか。続きを追いたいとき、本を全部買わなくても、代金を払って借りる方法がありました。今の漫画のレンタルに重なる仕組みで、定額で何でも読めるサブスクとは異なります。

平安時代の『更級日記』では本を持つ人とのつながりが重要でしたが、江戸の町には本を借りる商売がありました。同じ読書でも、本を手に入れる方法は変わっています。

④ いつもの舞台で推しに会えない。團十郎の江戸追放

ところが、楽しみが広がるばかりだったわけではありません。1842年、七代目團十郎が、江戸を追放されます。

背景にあったのは、幕府が贅沢を厳しく取り締まった「天保の改革(てんぽうのかいかく)」でした。人気役者もその対象となり、團十郎は処罰を受け、江戸を離れなければならなくなりました。成田屋公式サイト・七代目團十郎

それまで地元の舞台で見ていた推しが、遠い土地へ行ってしまう。江戸の観客にとって、團十郎の追放は、会いに行く場所を失う出来事でもありました。

團十郎は、江戸を離れたあとも大坂や京都などで舞台に立ちました。1849年に追放を許され、翌年、江戸へ戻ります。成田屋の略歴

しかし、江戸の観客が大坂や京都まで見に行くのは、簡単なことではありませんでした。江戸時代の旅は徒歩が中心で、日本で初めて鉄道が開業するのは1872年のことです。東日本鉄道文化財団「東海道 江戸の旅・近代の旅」

テレビもインターネットもなく、離れた土地の公演を映像で見る手段もありません。役者絵で姿は眺められても、團十郎の声や動きを楽しむには、本人が舞台に立つ場所へ行く必要がありました。

この「見たい人も演じる人もいるのに、いつもの舞台を見られない」という状況には、コロナ禍を思い出すところもあります。2020年には、感染拡大を防ぐため、歌舞伎座などでも公演が中止されました。幕府による処罰と感染症対策では理由は違いますが、観客が会場で推しを見られなくなる点は共通しています。松竹・2020年の公演中止のお知らせ

役者絵を眺めたり、推しの柄を身につけたりする楽しみは、会えない日にも残ります。それでも、目の前で演じる姿を見られる日は特別です。江戸後期の推し活をたどると、暮らしの中で好きな人を感じる時間と、舞台で会う時間の両方が見えてきます。

江戸後期の推し活年表

衣服や絵、本へと広がる楽しみの一方で、芝居への取り締まりもありました。推しをめぐる暮らしの変化を、年代順にたどれます。

推し活の型がそろい、そのまま規制とぶつかった時代
  1. 1794〜95年東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)が約10か月で約145点を残すメディア
  2. 1808年江戸の貸本屋(かしほんや)が656軒、顧客10万人超メディア
  3. 1811年雷電(らいでん)為右衛門が引退、通算254勝10敗相撲
  4. 1840年河原崎(かわらざき)座『勧進(かんじん)帳』、河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)が後見に付く芝居
  5. 1841〜43年天保の改革(てんぽうのかいかく)、娯楽全般が取り締まりの対象に社会
  6. 1842年七代目團十郎(だんじゅうろう)が江戸十里四方追放に芝居
  7. 1842年江戸の寄席(よせ)が211ヶ所から15軒に激減メディア
  8. 1842年役者絵(やくしゃえ)・美人画が禁止、国芳が判じ絵で応じるメディア
  9. 1842〜43年江戸三座が浅草の猿若(さるわか)町へ移される芝居
  10. 1852年見立番付(ばんづけ)『江戸前大蒲焼』刊、鰻屋205軒を格付けビジネス
  11. 1854年八代目團十郎(だんじゅうろう)が大坂で死去、死絵(しにえ)が大量に出る芝居
  12. 1854〜60年安政年間、江戸の寄席(よせ)が392軒まで拡大メディア

江戸後期の芸能と流行の言葉

役者へ掛け声を送る「大向こう」、役者をしのぶ「死絵」、衣服の「かまわぬ」。推しへの思いは、声や絵や装いにも表れていました。

この時代の芸能と暮らしの言葉
大向こう
2階後方の安席に由来し、役者へ掛け声を送る観客とその声を指す
死絵(しにえ)
役者の死去に際して出た追悼の錦絵(にしきえ)。戒名や没年月日を載せた
かまわぬ
七代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が衣装に用いた判じ模様。鎌・輪・ぬで読ませる
菊五郎(きくごろう)格子
三代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)考案の判じ模様。格子と文字で「キクゴロ」
見立番付(ばんづけ)
相撲番付(ばんづけ)の形式を借りて、事物を格付けした一枚摺り

衣服の模様には、役者の名前を絵や文字に置き換えたものもありました。図の「判じ模様」は、そうした謎解きのように読む柄です。

次は、見た姿だけでなく、聴いた声をもう一度楽しむ時代へ。推し活クロニクル 明治時代では、娘義太夫の熱気と蓄音器の登場をたどります。

参考資料

推し活年表

よくある質問

江戸の人も、推しの役者にちなんだ服を着ましたか?

人気役者が舞台で身につけた紋や柄は、町のファッションにも広まりました。七代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)にちなんだ三枡(みます)つなぎや、かまわぬ模様などが知られています。

「かまわぬ」模様は、どう読むのですか?

鎌の絵、輪の形、ひらがなの「ぬ」を合わせて「かまわぬ」と読む柄です。七代目團十郎が舞台衣装に使い、流行したと伝わります。

役者の舞台裏も、絵になっていたのですか?

楽屋で支度をする姿などを描いた錦絵(にしきえ)がありました。舞台上とは違う一面を楽しむ、いまのメイキング写真に重なる題材です。

七代目團十郎(だんじゅうろう)は、なぜ江戸から追放されたのですか?

贅沢を取り締まった天保の改革(てんぽうのかいかく)のもと、1842年に処罰され、江戸を離れました。その後も各地の舞台に立ち、1849年に追放を許され、翌年に江戸へ戻ります。

江戸には貸本屋(かしほんや)がたくさんあったのですか?

東京都立図書館の解説では、1808年の江戸には656軒の貸本屋(かしほんや)があったとされています。本を買うほかに、借りて物語を楽しむ方法が広がっていました。