推し活聖地巡礼

川端康成​「雪国」​「伊豆の​踊子」​の​聖地巡礼|湯沢の​資料館と、​天城・​湯ヶ野の​文学碑へ​【推し活×聖地巡礼】

新潟県湯沢(ゆざわ)町の雪国館(ゆきぐにかん)には、『雪国』の駒子(こまこ)のモデルとされる女性が暮らした部屋の一部が残っています。川端康成(かわばたやすなり)が滞在した宿「高半(たかはん)」に保存されているのは、作者の執筆室「かすみの間」。伊豆では、原稿や遺品を集めた文学博物館と、川端自身が除幕(じょまく)式に出席した湯ヶ野(ゆがの)の文学碑を訪ねられます。

2026年は『伊豆の踊子』発表から100年。静岡では舞台の再演や映画と散策を組み合わせた催しもあります。湯ヶ島(ゆがしま)と湯沢の宿や文学館には、二つの小説が生まれた旅の記録と直筆原稿、映画撮影の足跡が残されています。

雪国館の前で文庫を開く二人の女性を描いた水彩イラスト

「雪国」と「伊豆の踊子」に触れる九つの場所

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川端康成(かわばたやすなり)の訪問先9か所新潟県湯沢(ゆざわ)町・静岡県伊豆市・静岡県河津町(かわづちょう)・大阪府茨木市(いばらきし)・静岡県伊豆市・河津町・大阪府大阪市
公式施設公開の記念施設作品の舞台

① 雪国館(ゆきぐにかん)

駒子(こまこ)の部屋を移築・再現した展示と、『雪国』を描いた日本画。

雪国館を詳しく

② 雪國の宿 高半(たかはん)

『雪国』の執筆に使われた部屋。文学資料室とともに宿泊者が見学。

雪國の宿 高半を詳しく

③ 伊豆近代文学博物館

伊豆ゆかりの作家の原稿や資料を紹介する文学博物館。

伊豆近代文学博物館を詳しく

④ 伊豆の踊子文学碑

作品の土地に置かれ、作者自身も除幕(じょまく)式に訪れた文学碑。

伊豆の踊子文学碑を詳しく

⑤ 川端康成文学館

少年時代を過ごした茨木で、作家の生涯と創作をたどる。

川端康成文学館を詳しく

⑥ 諏訪社の大杉

『雪国』で駒子が涼をとったとされる、樹齢約400年の杉。

諏訪社の大杉を詳しく

⑦ 天城山隧道(あまぎさんずいどう)

『伊豆の踊子』の舞台として知られる、内部まで石積みのトンネル。

天城山隧道を詳しく

⑧ 初景滝(しょけいだる)

七つの滝を巡る遊歩道の途中に、伊豆の踊子の像が立つ。

初景滝を詳しく

⑨ 住吉大社(すみよしたいしゃ)

大阪生まれの川端康成の文学碑。「反橋(そりはし)」を紹介する案内も。

住吉大社を詳しく

『雪国』の舞台となった湯沢には、徒歩で訪ねられる資料館と、宿泊者に執筆室を公開する温泉宿があります。『伊豆の踊子』ゆかりの天城(あまぎ)・湯ヶ野(ゆがの)は静岡県伊豆半島の中央部から東側にかけての地域。天城峠には『伊豆の踊子』の舞台として知られる石造りのトンネル、河津七滝(かわづななだる)には踊子の像があります。少年時代を過ごした大阪府茨木市には生涯を紹介する文学館が、生まれた大阪市内の住吉大社には文学碑があります。

1雪国館(ゆきぐにかん)|駒子(こまこ)のモデルが暮らした部屋

白い壁、石を用いた高い入口、三角屋根のある雪国館の外観

湯沢(ゆざわ)町歴史民俗資料館「雪国館」の「駒子の部屋」は、芸者の松栄(まつえ)が住んだ豊田屋(とよだや)の2階を移築・再現した展示です。松栄の読みは「まつえ」。豊田屋は煙草や菓子を商い、農業も営む家で、2階を芸者の置屋に貸していました。

町の再開発で豊田屋が取り壊される際、部屋の一部が保存され、1992年に資料館へ移されました。館の名前が現在の「雪国館」になったのは2000年。前年に亡くなった松栄をしのぶ展示が開かれた頃に愛称が公募され、小説の名を冠した施設になりました。

館内には『雪国』を題材にした日本画のギャラリーがあり、川端が愛用した着物や器も紹介されています。大島紬(おおしまつむぎ)、小千谷紬(おぢやつむぎ)、薩摩上布(さつまじょうふ)といった衣服と、湯飲み、徳利、旅行用のティファニーの時計。執筆室とは別の角度から、作家が身近に置いた物を見られます。

2024年の改装では「駒子の部屋」を2階から1階に移し、多言語の案内やAR解説を導入しました。文学の展示とともに、雪深い地域の仕事や暮らしを伝える民具も収蔵しています。

開館は9時〜17時、最終入館16時30分。入館料は大人500円、小・中学生250円で、障害者手帳またはミライロIDを提示した本人と介護者は無料です。水曜休館、祝日の場合は翌日休館です。

場所
新潟県南魚沼郡(みなみうおぬまぐん)湯沢町湯沢354-1
作品との関係
『雪国』の駒子のモデル・松栄が住んだ豊田屋の部屋を移築再現した資料館
開館時間と休館日
9時〜17時・最終入館16時30分、水曜休館・祝日の場合は翌日休館
入館料
大人500円、小・中学生250円
所在地湯沢354-1。駒子のモデルの部屋と日本画、地域の民俗資料を展示。

出典:雪国館通信・「駒子の部屋」と館の歩み 、雪国館・ご利用案内 、2024年のリニューアル案内

2雪國の宿 高半(たかはん)|川端が執筆した「かすみの間」

高半に保存されたかすみの間の畳、座卓、椅子、火鉢を描いたイラスト

高半の公式案内によると、川端は1934年の晩秋から1937年にかけて「かすみの間」で『雪国』を書き進めました。当時の部屋は館内に保存され、文学資料室とともに宿泊者へ公開されています。

資料室には川端のほか、与謝野寛(よさのひろし)・晶子、北原白秋(きたはらはくしゅう)らの書、石井柏亭(いしいはくてい)や中澤茂の作品が収められています。湯沢(ゆざわ)町の文化財に指定された熊谷源太郎作の衝立(ついたて)もその一つ。宿に滞在した文学者の筆跡と、美術作品の両方を見学できる場所です。

夜には館内シアターで映画『雪国』の上映があります。公式案内では毎日20時開始、約2時間15分、予約はフロントで受け付けています。夕食後に映画まで見る予定なら、上映時間を含めて一晩の滞在を考えられます。

かすみの間と文学資料室の見学は宿泊者限定です。

場所
新潟県南魚沼郡(みなみうおぬまぐん)湯沢町湯沢923
作品との関係
川端康成(かわばたやすなり)が1934年晩秋〜1937年に『雪国』を書き進めた執筆室・かすみの間を保存する宿
見学条件
かすみの間と文学資料室の見学は宿泊者限定
館内上映
毎日20時から約2時間15分の映画『雪国』上映、フロントで予約受付
所在地湯沢923。川端康成の執筆室を保存。見学は宿泊者限定。

出典:高半・「雪国」の世界とシアター 、高半・文学資料室と「かすみの間」

3伊豆近代文学博物館|天城(あまぎ)ゆかりの作家たちの原稿

丸い柱の庇と茶色のタイル壁のある昭和の森会館に向かう女性

伊豆近代文学博物館は、道の駅「天城越え」の昭和の森会館内にあります。川端康成(かわばたやすなり)をはじめ、伊豆を訪れた作家や当地出身の作家の原稿、愛用品などを紹介する施設です。湯ヶ島(ゆがしま)には横光利一(よこみつりいち)、与謝野晶子(よさのあきこ)、梶井基次郎(かじいもとじろう)、井上靖(いのうえやすし)らの足跡も残っています。

川端が旅を重ねた天城は、作家同士の交流の場でもありました。横光と川端は文芸誌『文藝時代(ぶんげいじだい)』の同人で、梶井は湯ヶ島に滞在中の川端を訪ねています。ここでは『伊豆の踊子』一作から、同じ温泉地で仕事をした人々へと展示が広がります。

建物内の「森の情報館」は入場無料で、天城の動植物や森林を紹介しています。文学博物館の入館料は大人300円、小人100円。支払いは現金のみで、電子マネーなどには対応していません。開館は8時30分〜16時30分、原則として第3水曜休館です。

中庭にはわさび田と水車があり、井上靖の旧邸が移築されています。文学展示、森林の展示、中庭がまとまった会館で、紅葉の季節には庭の木々も色づきます。

場所
静岡県伊豆市湯ケ島892-6、道の駅「天城越え」昭和の森会館内
作品との関係
川端康成をはじめ天城湯ヶ島ゆかりの作家の原稿や愛用品を公開する文学博物館
開館時間と休館日
8時30分〜16時30分、原則として第3水曜休館
入館料
大人300円・小人100円、現金払いのみ、併設の森の情報館は無料
所在地湯ケ島892-6。道の駅天城越えの昭和の森会館内にある文学展示。

出典:伊豆市観光情報・昭和の森会館 、伊豆市・天城湯ヶ島と文学 、川端康成記念会・年譜

4湯ヶ野(ゆがの)の「伊豆の踊子」文学碑|川端が除幕(じょまく)に訪れた場所

木々と植栽に囲まれた、黒い銅板を付けた湯ヶ野の大きな文学碑のイラスト

河津町(かわづちょう)の湯ヶ野温泉に立つ文学碑は、1965年11月12日に建立されました。川端ゆかりの宿「福田家(ふくだや)」の隣にあり、除幕式には作者本人が出席しています。碑面に刻まれているのは、『伊豆の踊子』で湯ヶ野を描いた一節です。

小説の発表から約40年、最初の伊豆旅行から半世紀近くたって、川端は作品を記念するこの場所に戻りました。後年の読者や地域の人々が建てた碑に作者自身も立ち会った、という来歴を持っています。

碑は福田家に隣接する屋外にあり、観光協会の案内では駐車場が20台分用意されています。

場所
静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野、福田家の隣
作品との関係
1965年11月12日の除幕式に川端康成(かわばたやすなり)自身が出席した『伊豆の踊子』の文学碑
見どころ
『伊豆の踊子』で湯ヶ野を描いた一節を刻む屋外の石碑
設備
駐車場20台分あり
所在地湯ヶ野、福田家の隣。1965年の除幕式に川端本人が出席。

出典:河津町観光協会・伊豆の踊子文学碑

5茨木市(いばらきし)立川端康成(かわばたやすなり)文学館|少年の家の模型と、鎌倉の書斎

黄土色のレンガ壁と緑青色の丸みを帯びた庇が特徴の川端康成文学館入口

大阪府茨木市の川端康成文学館には、少年時代に暮らした家の模型と、鎌倉の自宅書斎を再現した展示があります。原稿、書簡、著書、墨書(ぼくしょ)、愛用品を通じて、幼少期から晩年までの仕事を紹介する文学館です。

開館のきっかけの一つは、1977年に開かれた「市長と語る中学生のつどい」で、川端を学ぶ施設を求める声が上がったことでした。文学館が開館したのは1985年5月。市の名誉市民でもある作家を、育った町で伝える施設として整えられました。

館内の資料は、閲覧に際して申請が必要なものがあります。大阪府立図書館の施設紹介には、録音図書や点字図書をほかの図書館を通じて借りられることも記載されています。展示を見たあとに作品そのものへ進むための蔵書も持つ施設です。

入場無料、9時〜17時開館。原則として火曜、祝日の翌日、年末年始、2月上旬の資料整理期間などが休館です。JR総持寺(そうじじ)駅から約1キロ、阪急茨木市駅から約1.3キロ、JR茨木駅から約1.4キロの距離にあります。

2026年10月4日〜2027年1月31日は、記念室で「川端康成クロニクル1926-27」を開催しています。『伊豆の踊子』を発表した頃の若い川端に焦点を当て、自筆原稿「現在と今後」や、1928年1月19日の消印がある小西善次郎宛の書簡を展示。映画製作にも加わり、新聞連載小説へ仕事を広げていった時期を扱います。

この会期中は11月3日の火曜は開館し、翌11月4日が休館です。年末年始は12月28日〜1月5日が休館と告知されています。

場所
大阪府茨木市上中条(かみちゅうじょう)2-11-25
作品との関係
少年時代を過ごした茨木市で原稿や書簡、鎌倉の書斎再現を公開する公立文学館
開館時間と休館日
9時〜17時、原則火曜・祝日の翌日・年末年始・2月上旬休館、入場無料
アクセス
JR総持寺駅から約1キロ、阪急茨木市駅から約1.3キロ、JR茨木駅から約1.4キロ
所在地上中条2-11-25。著書・遺品・原稿、少年時代の家の模型などを展示。

出典:大阪府立図書館・川端康成文学館 、茨木市広報・文学館の成り立ちと少年時代 、茨木市・2026年秋のテーマ展示 、茨木市・文学館の来館案内

6諏訪社の大杉|駒子(こまこ)が涼をとった、樹齢約400年の杉

初雪の積もる諏訪社の境内で、大杉を見上げる二人の女性のイラスト

湯沢(ゆざわ)町湯沢の諏訪社には、樹齢約400年とされる大杉があります。『雪国』でヒロインの駒子が涼をとった大杉の下は、川端康成(かわばたやすなり)が作品の構想を練った場所とも伝えられています。湯沢町の天然記念物に指定されている木です。越後湯沢駅の西口からは、歩いて約25分かかります。

場所
新潟県南魚沼郡(みなみうおぬまぐん)湯沢町湯沢901
作品との関係
『雪国』で駒子が涼をとった大杉とされる
最寄り駅
JR越後湯沢駅西口から徒歩約25分
見どころ
樹齢約400年、湯沢町指定天然記念物の杉
所在地湯沢901。越後湯沢駅西口から徒歩約25分。

出典:にいがた観光ナビ・諏訪社の大杉

7天城山隧道(あまぎさんずいどう)|内部まで石を積んだ、峠のトンネル

森の中に口を開ける石積みの天城山隧道と、入口に立つ二人のイラスト

伊豆市と河津町(かわづちょう)の境、天城(あまぎ)峠の下を抜ける天城山隧道は、1904年に完成した石造りのトンネルです。延長は446メートル。入口だけでなく内部まで石を積んで造られ、明治時代の石のトンネルとしては最も長いと紹介されています。

静岡県の土木遺産の案内では、『伊豆の踊子』の舞台として有名なトンネルとされ、「日本の道100選」にも選ばれています。国道414号の旧道にあり、新しい天城トンネルと区別して「旧天城トンネル」とも呼ばれます。

場所
静岡県伊豆市・河津町の境、国道414号の旧道
作品との関係
『伊豆の踊子』の舞台として知られる天城峠のトンネル
規模
1904年完成、延長446メートル、内部まで石積み
所在地国道414号の旧道。1904年完成、延長446m。

出典:静岡県・天城山隧道

8河津七滝(かわづななだる)・初景滝(しょけいだる)|伊豆の踊子の像が立つ滝

初景滝の前で、踊子と学生の銅像を眺める二人の女性のイラスト

河津町(かわづちょう)梨本(なしもと)の河津七滝は、河津川沿いに並ぶ七つの滝の総称です。約2万5千年前の噴火で流れ出た溶岩を、川の流れが磨いて造った滝で、2018年に認定された伊豆半島ユネスコ世界ジオパークのジオサイトの一つでもあります。

七つのうち、初景滝のそばに伊豆の踊子の像があります。七滝を巡る遊歩道は全長850メートルで、片道約1時間。2013年の再整備で、釜滝(かまだる)の滝つぼにせり出す展望デッキや吊り橋「河津踊子滝見橋」も整えられました。

場所
静岡県賀茂郡河津町梨本
作品との関係
初景滝のそばに伊豆の踊子の像
見どころ
七つの滝を巡る全長850メートルの遊歩道と河津踊子滝見橋
アクセス
伊豆急行河津駅からバスで約25分
所在地梨本。初景滝のそばに伊豆の踊子の像。

出典:静岡県・河津七滝の景観計画

9住吉大社(すみよしたいしゃ)の川端康成(かわばたやすなり)文学碑|大阪生まれの作家の碑

住吉大社の境内で、川端康成文学碑の大きな石を眺める二人の女性のイラスト

大阪市住吉区(すみよしく)の住吉大社の境内に、川端康成の文学碑があります。川端は1899年、大阪市北区此花町(このはなちょう)一丁目、現在の北区天神橋(てんじんばし)一丁目で生まれました。

大阪市の文学碑の案内では、この碑とあわせて、1947年に雑誌『風雪』に発表した短編「反橋(そりはし)」を紹介しています。「反橋・しぐれ・住吉」の三部作の一つで、ノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」にまでつながる作品として、「川端文学上のふるさと」と言われています。

場所
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目、住吉大社境内
作品との関係
大阪生まれの川端康成の文学碑
最寄り駅
阪堺線鳥居前駅、南海本線住吉大社駅
所在地住吉区住吉2丁目、住吉大社境内。

出典:大阪市・川端康成文学碑

「雪国」の汽車と、湯沢(ゆざわ)で暮らす人々

島村(しまむら)が訪ねる駒子(こまこ)と、車内で出会う葉子(ようこ)

『雪国』の島村は、東京から温泉地へ通う旅人です。新緑の季節に駒子と出会い、同じ年の暮れ、彼女に再会するため再び汽車に乗ります。その車内で気にかかるのが、病人に付き添う葉子でした。

題名から連想する真冬の白さだけで物語が進むわけではありません。駒子との出会いには新緑があり、彼女が得意とする三味線があります。島村にとって温泉地は訪ねていく場所で、駒子にとっては仕事をして暮らす場所。その距離が、二人の関係に重なっています。

出典:新潮社・『雪国』作品紹介

葉子(ようこ)の声は、鉄道で働く弟へ向けられる

小説の冒頭で、葉子は汽車の窓を開け、駅長に声をかけます。用件は、そこで働き始めた弟のこと。駅長の話には、大雪、雪崩、立ち往生する汽車、厚着をする若い職員たちが登場します。有名なトンネルの一文のすぐ先で、土地の冬は鉄道員の仕事として語られているのです。

その声を聞いている島村(しまむら)は、車窓に映った葉子の姿にも引かれます。曇ったガラスを拭くと、向かいの席の女性の目が浮かぶ。本人のほうを見れば気まずい距離でも、夕景を眺めるふりをして窓越しなら見続けられます。葉子は病人の襟巻きを直し、島村はその手の動きを見ています。

葉子の注意は弟や病人へ向いているのに、島村は彼女の美しさに心を奪われる。世話をする人の行動と、眺める人の感情がずれているところに、この冒頭の緊張があります。新潮社の公開試し読みでは、窓を開けて話しかける場面から、ガラスに映る姿を追う場面まで読めます。

出典:新潮社・『雪国』試し読み

上越線の開通で、東京と湯沢(ゆざわ)の距離が変わった

川端が初めて湯沢を訪れたのは1934年6月。その3年前、1931年に清水(しみず)トンネルが開通し、上越線が全通していました。雪国館(ゆきぐにかん)通信によると、以前は東京から長野県を経由して2日がかりだった道のりが、上野から約4時間40分になったといいます。

川端は当初、作品の舞台が湯沢であることを公にするのに慎重でした。1948年の文章では場所を明らかにしない姿勢を示し、1952年の岩波文庫版のあとがきでは湯沢に言及しています。小説本文には温泉地の名を置かず、作品外の文章で土地との関係を語ってきたのです。

湯沢の町も、作品が書かれた頃から変わりました。かつて布場(ぬのば)のスキー場周辺には段々の農地や桑畑があり、人々の生活の道が通っていました。現在の駅前や宿泊施設の並ぶ町並みの下には、鉄道、スキー観光、再開発によって変わってきた土地の歴史があります。

出典:雪国館通信・川端が語った湯沢と『雪国』

雪をしのぐ蓑(みの)は、材料と指の寸法から作られる

雪国館(ゆきぐにかん)の民俗資料には、地域で作られた藁細工(わらざいく)もあります。2026年8月の館の通信が紹介したのは、小林守雄(こばやしもりお)さんの仕事です。図面を引かず、親指と中指を使った「指尺(ゆびしゃく)」で長さを取り、着る人の体に合う蓑を編んでいきます。

材料になる植物の一つは、山に生えるミヤマカンスゲを指す「ヒロロ」。軽い蓑に仕上がる反面、集める手間がかかります。家の近くで採れる「ミチシバ」も用いられ、調達できる材料と着心地を両立させていました。

「セナコウジ」は荷を背負うときに背中へ当てる道具で、荷のずれや体にかかる圧力を和らげます。牛と馬の足元の道具も同じ形ではありません。割れた蹄(ひづめ)を持つ牛には草鞋(わらじ)、馬には足先を包む沓(くつ)を作る。冬に編んだ品を春の雪の上でさらす工程まで、通信は具体的に記録しています。

出典:雪国館通信・小林守雄さんの藁細工

日本画のギャラリーには、14点の「雪国」がある

雪国館(ゆきぐにかん)1階のギャラリーには、小説の場面を描いた14点の日本画が並びます。高山辰雄(たかやまたつお)《雪國の月》や、大山忠作(おおやまちゅうさく)《勧進帳(かんじんちょう)》など、複数の画家が同じ小説をそれぞれの画面にした作品群です。館内には、川端が小説の冒頭を書いた直筆の書も展示されています。

同館の民俗展示は四季の仕事を追う構成です。春の田起こしから夏の養蚕(ようさん)、秋の収穫と脱穀(だっこく)、冬の藁(わら)仕事や雪掘りへ。茶の間を移築した展示には囲炉裏(いろり)があり、明治・大正から昭和初期にかけての生活道具が置かれています。絵に描かれた人物や景色に加え、地域の一年を支えた仕事も館内でたどれます。

出典:雪国館・日本画と民俗展示の案内

伊豆の旅が、小説になるまで

1918年の出会いから、1926年の発表へ

川端は1918年の秋、第一高等学校の学生だった頃に伊豆を一人で旅しました。途中で旅芸人の一行と道連れになった経験が、『伊豆の踊子』へつながります。作品の語り手も、一人旅の途中で踊子に引かれる学生です。

その経験は、すぐに現在の形の小説になったわけではありません。1922年の夏、湯ヶ島(ゆがしま)の湯本館(ゆもとかん)に滞在して「湯ケ島での思ひ出」という107枚の原稿を書き、1926年に書き直して『伊豆の踊子』を発表しました。旅から初稿まで4年、発表までさらに4年ほどを経ています。

湯本館は一度だけ泊まった宿ではありません。川端は1919年にも訪れ、その後およそ10年にわたって湯ヶ島へ通いました。大学を卒業した1924年には宿で過ごす時間も長く、ここが継続して執筆する場所になっていました。

出典:湯本館・川端康成(かわばたやすなり)と宿の歩み
茨木市(いばらきし)・川端康成略年譜

少年時代の茨木から、一人旅の学生へ

川端は幼くして両親を亡くし、茨木の祖父母の家で育ちました。祖父が亡くなった1914年の経験は、後に『十六歳の日記』となります。茨木市(いばらきし)の文学館による解説では、看病する日々の愛情だけでなく、不安や嫌悪も記した文章として紹介されています。

一方、少年の暮らしには本や絵に親しむ時間もありました。市の広報は、木に登って本を読み、堤に座って読書をし、絵を描いていた姿を伝えています。中学の寄宿舎に入ってからは本を買い込み、書店の代金をためてしまったこともあったそうです。後の大作家という肩書の手前に、読みたい本を次々と求める学生がいました。

茨木の文学館にある家の模型は、こうした少年期の住まいを伝えるものです。鎌倉の書斎再現と合わせて見ると、大阪で本を読む少年から、東京へ出て雑誌に作品を発表し、各地の宿でも書き続けた作家への道筋が現れます。

出典:茨木市広報・『十六歳の日記』
茨木市広報・川端康成(かわばたやすなり)と茨木

温泉宿で交わった、川端・横光・梶井の仕事

1924年、川端は横光利一(よこみつりいち)らと『文藝時代(ぶんげいじだい)』の創刊に参加しました。『伊豆の踊子』を発表した頃は、新しい文学を模索する同人たちと活動していた時期です。1927年1月には梶井基次郎(かじいもとじろう)が湯ヶ島(ゆがしま)の川端を訪ね、同年3月に金星堂から作品集『伊豆の踊子』が刊行されました。

湯本館(ゆもとかん)には川端が使った部屋とともに、梶井にまつわる資料も残されています。さらに、歌人の若山牧水(わかやまぼくすい)も1922年の春に同館へ滞在しました。宿の案内によると、牧水が泊まった「山桜」の部屋の欄間(らんま)は、『伊豆の踊子』初版本の装丁に用いられています。宿の建築の意匠が、本の姿にもつながっているのです。

川端康成(かわばたやすなり)

幼くして両親を亡くし、茨木の祖父母の家で育った作家です。1918年の伊豆の一人旅が『伊豆の踊子』に、1934年から通った湯沢(ゆざわ)が『雪国』につながりました。

横光利一(よこみつりいち)

1924年、川端らとともに同人雑誌『文藝時代』に加わった作家です。新しい文学を模索する同人の一人でした。

梶井基次郎(かじいもとじろう)

1927年の元日、湯ヶ島に滞在していた川端を訪ねた作家です。湯本館には梶井にまつわる資料も残っています。

若山牧水(わかやまぼくすい)

1922年の春に湯本館へ滞在した歌人です。牧水が泊まった「山桜」の部屋の欄間は、『伊豆の踊子』初版本の装丁に使われました。

出典:川端康成記念会・年譜
湯本館・文人の滞在と資料

映画と舞台が描き直す「伊豆の踊子」

最初の映画版は、田中絹代(たなかきぬよ)が踊る無声映画

1933年の『戀の花咲く 伊豆の踊子』は、小説の最初の映画化です。五所平之助(ごしょへいのすけ)が監督し、踊子を田中絹代、学生を大日方傳(おびなたでん)が演じました。国立映画アーカイブは、現存する五所のサイレント映画では最も古い作品と紹介しています。

五所は後に音声のある映画として作りたかったと語ったそうですが、完成作は無声・白黒です。同館の解説が注目するのは、細かく刻まれたカット。台詞を声で聞かせる後年の映画版とは異なり、画面の切り替えと俳優の姿によって、学生と踊子の恋心を描いています。

出典:国立映画アーカイブ・『戀の花咲く 伊豆の踊子』

美空(みそら)ひばり主演版では、伊豆を歩いて音楽が作られた

2度目の映画化は1954年、野村芳太郎(のむらよしたろう)監督版です。17歳の美空ひばりが踊子を、石浜朗(いしはまあきら)が学生を演じました。音楽を担当した木下忠司(きのしたちゅうじ)は修善寺から街道筋を見て回り、主題歌の「伊豆の踊子」「いでゆの里」、劇中の「湯ヶ島(ゆがしま)音頭」などを作詞・作曲しています。

風景は撮影される背景であると同時に、音楽を作るために実際に歩いた場所でもありました。白黒の画面に、ひばりの歌と、楽器を細かく使い分けた音楽が重なります。舞踊を題材とする小説が、歌手としても知られる主演者の声を持った映画になった一作です。

出典:国立映画アーカイブ・野村芳太郎監督版

吉永小百合(よしながさゆり)主演版は、老教授の回想から始まる

1963年の西河克己(にしかわかつみ)監督版では、大学教授となった男が伊豆へ出かけ、若い頃の出会いを思い返します。老教授を宇野重吉(うのじゅうきち)、学生時代を高橋英樹(たかはしひでき)が演じ、吉永小百合は現代の少女と回想の中の踊子・薫の二役を担いました。

日活の紹介によると、現在を白黒、回想をカラーで映す構成です。青年が歩く旅の時間に、何十年も後から思い出す時間が加わっています。川端はロケにも訪れ、完成作を高く評価しました。国立映画アーカイブは、その評価を作者が各地で語ったため、西河監督がかえって戸惑ったという逸話も紹介しています。

日活の公式予告では、吉永と高橋が演じる二人と、伊豆の旅の場面を見られます。本編は87分です。

出典:日活・1963年版『伊豆の踊子』
国立映画アーカイブ・1963年版の構成と制作

山口百恵(やまぐちももえ)主演版は、伊豆での撮影が3日間だった

茨木市(いばらきし)の文学館は、1933年から1974年までに『伊豆の踊子』が6回映画化されたと紹介しています。田中絹代(たなかきぬよ)、美空(みそら)ひばりに続き、1960年に鰐淵晴子(わにぶちはるこ)、1963年に吉永小百合(よしながさゆり)、1967年に内藤洋子(ないとうようこ)、1974年に山口百恵が踊子を演じました。

山口百恵主演版の監督も西河克己(にしかわかつみ)です。この制作では主演者のスケジュールに制約があり、伊豆で撮影できたのは3日間。奥多摩や撮影所も使われました。一本の映画の中の伊豆は、伊豆半島の現地撮影だけで作られたわけではなかったのです。

映画のロケ地は時代や監督によって移り変わりましたが、湯ヶ野(ゆがの)には1965年に川端自身が除幕(じょまく)式へ足を運んだ文学碑が今も残っています。

出典:茨木市広報・映画『伊豆の踊子』と川端康成(かわばたやすなり)

2026年のSPAC公演は、旅芸人の側からも物語を開く

静岡の劇団SPACは、多田淳之介(ただじゅんのすけ)が台本・演出を担当した『伊豆の踊子』を2026年秋に再演しています。映像監修は本広克行(もとひろかつゆき)。伊豆の映像を背景に、演歌、J-POP、ラップが入る舞台です。演出家は、学生が眺める側に置かれがちな旅芸人たちの視点を、ドラァグクイーンやラップのライブへ展開したと説明しています。

2023年の初演後、静岡や伊豆の劇場、河津桜まつりの屋外会場、修善寺温泉のお座敷などで上演を重ねてきました。作品中の一座のように、会場を変えながら旅をしてきた舞台でもあります。

10月18日時点でこれからの土日の一般公演は10月31日と11月1日、各日13時30分開演。会場はグランシップ内の静岡芸術劇場、上演時間は130分です。10月31日には、福田淳子(ふくだじゅんこ)による作品の翻案(ほんあん)についての鑑賞講座も予定されています。このほか10月28日13時30分と11月5日18時の公演も、電話・窓口で一般予約を受け付けます。

出典:SPAC・2026年秋『伊豆の踊子』

作品が書かれ、土地に伝えられてきた歩み

二作品と文学の施設の歩み
  1. 1899年川端康成(かわばたやすなり)が大阪市に生まれる生涯
  2. 1904年天城山隧道(あまぎさんずいどう)が完成土地
  3. 1917年茨木中学を卒業し第一高等学校へ生涯
  4. 1918年秋伊豆を旅し旅芸人の一行と道連れに旅
  5. 1924年『文藝時代(ぶんげいじだい)』の創刊に参加創作
  6. 1926年『伊豆の踊子』を発表作品
  7. 1934年晩秋〜高半(たかはん)で『雪国』の執筆を進める執筆
  8. 1935年『雪国』の発表が始まる作品
  9. 1937年『雪国』の最初の単行本が刊行出版
  10. 1947年短編「反橋(そりはし)」を発表作品
  11. 1965年湯ヶ野(ゆがの)の文学碑の除幕(じょまく)式に出席記念
  12. 1968年ノーベル文学賞を受賞受賞
  13. 1983年湯沢(ゆざわ)町歴史民俗資料館が開館施設
  14. 1985年茨木市(いばらきし)立川端康成文学館が開館施設
  15. 1992年湯沢の資料館に駒子(こまこ)の部屋を設置展示
  16. 2024年雪国館(ゆきぐにかん)がリニューアル施設
  17. 2026年『伊豆の踊子』発表から100年記念

最初の単行本のあとも、書き継がれた「雪国」

『雪国』は1935年に分載が始まり、1937年6月に創元社から最初の単行本が出ました。しかし、そこで執筆が終わったわけではありません。川端康成(かわばたやすなり)記念会の年譜によると、1947年10月に『続雪国』を「小説新潮」に発表し、書き始めてから13年をかけて一応の完結を迎えています。

高半(たかはん)が紹介する1934年晩秋〜1937年の執筆期間は、最初の単行本へ至る時期に当たります。そこから戦争を挟み、作品をさらに書き継いだという長さがあります。旅先の宿で生まれた物語が、湯沢(ゆざわ)を離れたあとも作者の仕事として続いていました。

出典:川端康成記念会・1934〜1947年の年譜
高半・川端の滞在

戦後の新潮文庫は「雪国」から始まった

『雪国』には、文庫の歴史にも残る一面があります。新潮社によると、戦後に再出発した新潮文庫の第1号は、1947年7月刊の川端康成(かわばたやすなり)『雪国』でした。1914年に始まった新潮文庫は刊行の中断を経験し、この1947年から現在へ続く第4期に入っています。

出版社の解説では、その順番は本扉下部の入稿番号「1」にも残されているといいます。長く売れた作品であるだけでなく、戦後に読者へ文庫を届け直す最初の一冊でもあったのです。

現在の新潮文庫『伊豆の踊子』には、表題作のほか「温泉宿」「抒情歌」「禽獣(きんじゅう)」を収録。川端の温泉地の描写や、異なる人物の内面を描いた短編へ続けて読めます。

新潮社・『雪国』の書籍情報

新潮社・『伊豆の踊子』の収録作品

出典:新潮社・新潮文庫の歴史

発表100年の伊豆では、映画と約4キロの散策を組み合わせる

2026年11月21日には、『伊豆の踊子』発表100周年を記念した映画上映とガイド付き散策が予定されています。集合は天城(あまぎ)会館に隣接する夕鶴(ゆうづる)記念館。9時10分から受け付け、9時30分〜11時に映画を見たあと、約4キロの踊子歩道を歩く企画です。

募集は先着20人で、最少催行人数は10人。申し込み期限は11月15日、参加費2,000円には昼食代やバス代を含みません。雨天の場合は散策が中止になります。映画の鑑賞と山道歩きを含むため、通常の文学館見学とは別に申し込みが必要です。

一方、1937年6月12日に最初の単行本が出た『雪国』は、2027年に出版90年を迎えます。雪国館(ゆきぐにかん)通信は、川端の没後55年と重なる年として紹介しています。

出典:伊豆市観光情報・発表100周年記念企画
雪国館通信・『雪国』初刊の記録

研究所メモ|ビジネスの視点から:宿で過ごす時間と文学鑑賞

高半(たかはん)は、保存された執筆室、文学資料、夜の映画上映を宿泊者へ提供しています。見学だけで終わらず、夕食後の2時間余りまで作品に触れられる構成です。文学との関係が、館内での過ごし方を具体的に作っています。

SPACの舞台は、劇場から温泉宿や桜まつりへ上演場所を広げてきました。2026年の劇場ロビーには、地元高校生と東海バスが考えた『伊豆の踊子』の観光ツアーも展示されています。作品を見る会場と、次に実際の土地へ出かける計画をつなぐ取り組みです。

出典:高半・文学とシアター
SPAC・公演とロビー展示

出典について

施設情報は運営者、自治体、観光協会の案内を、執筆・刊行の経緯は川端康成(かわばたやすなり)記念会と出版社の資料を参照しました。映画版は製作会社と国立映画アーカイブ、2026年の公演はSPACの告知に基づいています。会期・開館時間・利用条件は2026年10月時点の各施設の公式案内によるものです。

よくある質問

「かすみの間」は日帰りで見学できますか?

高半の現在の公式案内では、かすみの間と文学資料室の見学は宿泊者限定です。映画『雪国』の館内上映は予約制で、フロントが受け付けています。

雪国館の「駒子の部屋」は川端の執筆室ですか?

駒子のモデルとされる芸者・松栄(まつえ)が住んだ豊田屋の部屋を移築・再現した展示です。川端の執筆室「かすみの間」は高半に保存されています。

雪国館の入館料はいくらですか?

大人500円、小・中学生250円です。障害者手帳またはミライロIDを提示した本人と介護者は無料。9時〜17時開館、最終入館は16時30分です。

伊豆近代文学博物館は現金以外で払えますか?

伊豆市の観光案内では、入館料は現金払いのみです。文学博物館は大人300円、小人100円。同じ昭和の森会館内の「森の情報館」は無料です。

茨木の文学館は、どの駅から歩けますか?

大阪府立図書館の案内では、JR総持寺駅から約1キロ、阪急茨木市駅から約1.3キロ、JR茨木駅から約1.4キロです。住所は茨木市上中条2-11-25で、入場は無料です。

伊豆の踊子の像は、どこにありますか?

河津町の河津七滝のうち、初景滝のそばに立っています。七つの滝を巡る遊歩道は全長850メートル、片道約1時間です。

湯ヶ野の文学碑に川端本人が来たのはいつですか?

1965年11月12日の除幕式です。碑は福田家の隣にあり、『伊豆の踊子』の湯ヶ野の場面が刻まれています。

映画『伊豆の踊子』はすべて伊豆で撮影されましたか?

映画版によって異なります。1974年の山口百恵主演版は伊豆での撮影が3日間に限られ、奥多摩や撮影所も使われたと茨木市の文学館が紹介しています。