推し活聖地巡礼

司馬遼太郎作品の​聖地巡礼|松山・​横須賀・​東大阪・​高知・​長崎で​『坂の​上の​雲』​『竜馬が​ゆく』​を​読む​【推し活×聖地巡礼】

『坂の上の雲』の連載1,296回分を並べた壁、空襲で失われてから復元された秋山兄弟の家、司馬遼太郎(しばりょうたろう)が色鉛筆を置いた書斎。松山(まつやま)、横須賀、東大阪(ひがしおおさか)、姫路、高知(こうち)、長崎には、小説の登場人物と、作品を書いた人の仕事を伝える場所があります。

松山で『坂の上の雲』の三人の主人公を訪ね、横須賀で真之(さねゆき)が乗った旗艦に上がる。東大阪と姫路で作家の書斎と家系をたどり、高知と長崎で龍馬の生まれた町と仲間の拠点を歩く。六つの都市の12か所で見られる展示と、作品の場面をつなげていきます。松山の4施設は、市内電車と徒歩で行き来できる距離にあります。

坂の上の雲ミュージアムへ向かう二人の女性の水彩イラスト

松山(まつやま)・横須賀・東大阪(ひがしおおさか)・姫路・高知(こうち)・長崎で訪ねる12の場所

12
司馬作品と歴史資料に出会う12の場所愛媛県松山市・神奈川県横須賀市・大阪府東大阪市・兵庫県姫路市・高知県高知市・長崎県長崎市
公開の記念施設

① 坂の上の雲

秋山兄弟と子規(しき)を軸に作品と明治の時代を紹介する施設。

坂の上の雲を詳しく

② 秋山兄弟生誕地

生家は空襲で焼失。現在は復元家屋と資料から兄弟の歩みをたどれます。

秋山兄弟生誕地を詳しく

③ 子規記念博物館

小説の登場人物から、俳句(はいく)・短歌を変えようとした文学者の仕事へ。

子規記念博物館を詳しく

④ 子規堂

子規が17歳まで暮らした湊町の家を、正宗寺(しょうじゅうじ)の傍らに復元。

子規堂を詳しく

⑤ 記念艦三笠

日本海海戦の旗艦。秋山真之(あきやまさねゆき)が作戦参謀として乗った艦の艦橋に上がれます。

記念艦三笠を詳しく

⑥ 司馬遼太郎記念館

作家の書斎と、高さ11メートルの吹き抜けの大書架(しょか)を見る記念館。

司馬遼太郎記念館を詳しく

⑦ 姫路文学館

司馬の家系と播磨のつながりを、原稿(げんこう)や挿絵(さしえ)で紹介する記念室。

姫路文学館を詳しく

⑧ 坂本龍馬(さかもとりょうま)記念館

小説の竜馬と、現存する資料から知られる歴史上の龍馬を読み比べる場所。

坂本龍馬記念館を詳しく

⑨ 桂浜(かつらはま)の龍馬像

1928年に青年有志の募金で建てられた、太平洋を向く龍馬像。

桂浜の龍馬像を詳しく

⑩ 龍馬の生まれたまち

龍馬が生まれた上町(かみまち)で、家族と町の暮らしを紹介する記念館。

龍馬の生まれたまちを詳しく

⑪ 亀山社中(かめやましゃちゅう)記念館

龍馬と同志が結成した亀山社中の拠点を、当時に近い形で整えた記念館。

亀山社中記念館を詳しく

⑫ 風頭(かざがしら)公園

『竜馬がゆく』怒濤篇(どとうへん)の一節を刻んだ文学碑と、長崎港を見下ろす龍馬像。

風頭公園を詳しく

1坂の上の雲ミュージアム|新聞連載の長さを、壁の前で実感する

ガラスの格子とコンクリート、緑の斜面に囲まれた坂の上の雲ミュージアム

坂の上の雲ミュージアムは、松山(まつやま)城の山裾に建つ、小説『坂の上の雲』を主題とした施設です。4階の展示室2では、秋山好古(あきやまよしふる)・真之(さねゆき)兄弟と正岡子規(まさおかしき)の家族やエピソード、本人たちが使った品を紹介しています。

その近くにある「新聞の壁」には、1968年4月22日から1972年8月4日まで産経新聞夕刊に載った、全1,296回の連載が並びます。挿絵(さしえ)を担当したのは下高原健二。構想期間を含めると約10年、作者が40代のほぼすべてを費やした作品です。

単行本の初版は全6巻で、現在の文春文庫は全8巻。最初の単行本が出た1969年4月は、まだ新聞連載の途中でした。壁に並ぶのは完成した本を分割した紙面ではなく、結末を待つ読者へ日々届けられた小説の姿です。

2026年2月24日〜2027年1月3日は、第19回企画展「『坂の上の雲』にみる明治のインテリジェンス」を開催。日清戦争と三国干渉を経て緊張が高まる東アジアを背景に、明治20年代後半から30年代の政治・外交・軍事に携わった人々を取り上げます。

設計は安藤忠雄(あんどうただお)。地下1階・地上4階の建物は、空に向かって5度広がる逆三角錐(ぎゃくさんかくすい)の形で、各階を一続きのスロープが結んでいます。城山と市街地の両方に面する場所に建ち、スロープには明治期の松山の写真と子規(しき)の俳句(はいく)も展示されています。

出典:坂の上の雲ミュージアム・建築概要
第19回企画展

開館は9時〜18時30分、最終入館18時。展示室は一般500円、高校生・65歳以上250円、中学生以下無料です。2階ホール、ショップ、ライブラリーは無料で利用できます。原則月曜休館です。

大街道(おおかいどう)電停から徒歩約2分、秋山兄弟生誕地からは徒歩約5分。一般来館者用の駐車場はありません。

場所
愛媛県松山市一番町3丁目20
作品との関係
小説『坂の上の雲』を主題に連載紙面や主人公3人の資料を展示する博物館
営業時間
9時〜18時30分・最終入館18時、原則月曜休館
観覧料
一般500円、高校生・65歳以上250円、中学生以下無料
所在地一番町3-20。連載の新聞の壁と、作品に関わる展示。

出典:坂の上の雲ミュージアム・アクセス
坂の上の雲ミュージアム
4階展示案内
企画展案内

2秋山兄弟生誕地|復元された家から、兄弟の出発点をたどる

瓦を載せた白い塀と復元家屋、好古の騎馬像が見える庭

秋山兄弟は、松山(まつやま)城下の歩行町(かちまち)に生まれました。好古(よしふる)は1859年、真之(さねゆき)は1868年生まれ。現在の生家は、当時の家屋が1945年の松山空襲で焼失した後、全国からの募金によって2005年1月に復元公開された建物です。

復元にあたっては、下級武士の家の間取り、資料、証言を基にしています。内部には兄弟の直筆の書や写真資料を展示。1937年建立の「秋山両将遺邸之碑」には、好古の没後、松山の有志が家の保存を進め、松山同郷会へ管理を託した経緯が刻まれています。

好古が16歳で大阪へ出たのは1875年で、最初に志したのは教員でした。真之が東京へ旅立ったのはその8年後。こちらは文学を学ぶためでした。陸軍と海軍の将官になる二人も、この家を出る時点では別の進路を考えていました。

好古は65歳で松山へ戻り、旧制北豫中学校(ほくよちゅうがっこう)の校長として、この家から6年間通勤しました。現在の愛媛県立松山北高等学校につながる学校です。生家を管理する常盤(ときわ)同郷会も、好古が監督を務めた常盤寄宿舎と、真之らが作った松山同郷会を受け継ぐ青少年育英団体で、東京では今も男子学生寮「常盤学舎」を運営しています。

出典:常盤同郷会・生誕地と兄弟の出発点

大街道(おおかいどう)電停から徒歩約3分、大街道バス停から徒歩約5分。公式の問合せ受付は10時〜17時、月曜休館と案内されています。

場所
愛媛県松山市歩行町2丁目3-6
作品との関係
『坂の上の雲』の主人公である秋山好古(あきやまよしふる)・真之兄弟の生家を復元した施設
最寄り駅
伊予鉄道 大街道電停から徒歩約3分
営業時間
10時〜17時、月曜休館
所在地歩行町2-3-6。2005年に復元公開された生家。

出典:秋山兄弟生誕地公式サイト
所在地と利用案内

3松山(まつやま)市立子規(しき)記念博物館|小説の中の子規から、文学者の仕事へ

曲面の屋根と灰色の外壁、入口前の階段がある子規記念博物館

道後(どうご)公園に隣接する松山市立子規記念博物館は、正岡子規(まさおかしき)の生涯を、松山の歴史とともに紹介する施設です。常設展示は2・3階に分かれ、2階では家族、学生時代、新聞記者としての活動を、3階では文学改革や闘病期の仕事を扱っています。

2026年10月7日〜2027年3月15日は、3階特集コーナーで新収蔵資料後期展「子規と家族・親族―八重・律・大原観山(おおはらかんざん)・加藤拓川(かとうたくせん)―」を開催。母と妹だけでなく、母方の祖父や叔父も取り上げます。

子規は1883年、叔父の加藤拓川に招かれて東京へ行きました。翌年に東京大学予備門へ入り、1889年の喀血(かっけつ)を機に子規の号を使い始めます。学業と病、文学が重なる生涯を、家族や親族との関係から見る企画です。

出典:子規記念博物館・新収蔵資料後期展
坂の上の雲ミュージアム・子規の略歴

無料のインストラクターによる常設展示の案内は、1人から予約できます。音声ガイドは1台100円で、重要展示約30点を30〜40分ほどで案内します。1階視聴覚室では、子規の生涯を約20分にまとめた「のぼさんからのメッセージ」も、休日を中心に上映しています。

出典:子規記念博物館・常設展示と見学ガイド

観覧料は一般500円、小中高校生無料、65歳以上250円。開館は5〜10月が9時〜18時、11〜4月が9時〜17時で、最終入館は閉館30分前です。道後温泉駅または道後公園前駅から徒歩約5分。

有料展示室の2階から3階への通常の見学経路は階段です。エレベーターを使う場合は、2階展示室の最後にある呼出しボタンで係員へ連絡できます。

場所
愛媛県松山市道後公園1-30
作品との関係
『坂の上の雲』の主人公の一人である正岡子規の生涯と文学を紹介する博物館
営業時間
5〜10月は9時〜18時、11〜4月は9時〜17時、最終入館は閉館30分前
観覧料
常設展は一般500円、65歳以上250円、小中高校生無料
所在地道後公園1-30。子規の生涯、文学、松山を紹介。

出典:子規記念博物館・利用案内
交通アクセス
松山市・子規記念博物館の案内

4子規(しき)堂|17歳まで暮らした家を、寺の境内に復元

白壁と瓦屋根の子規堂の前の石畳で、文庫本を読む若い男性

子規堂は、正岡子規(まさおかしき)が上京する17歳まで暮らした湊町の住まいを、正宗寺(しょうじゅうじ)の傍らに復元した建物です。『坂の上の雲』の三人のうち、子規の少年時代の家にあたります。室内には子規の遺墨や遺品が並び、境内には子規の埋髪塔(まいはつとう)と、正岡家累代(るいだい)の墓があります。

松山(まつやま)市は子規堂を、坂の上の雲ミュージアムや秋山兄弟生誕地と同じ『坂の上の雲』フィールドミュージアムの散策地図に載せています。兄弟の生家と子規の家を同じ日に訪ねると、三人が松山のどこで育ったかを地図の上で比べられます。

開館は9時〜17時(入館は16時40分まで)で、無休と案内されています。

場所
愛媛県松山市末広町16-3(正宗寺)
作品との関係
『坂の上の雲』の主人公の一人・正岡子規が17歳まで暮らした家の復元
開館
9時〜17時(入館16時40分まで)、無休
所在地末広町16-3、正宗寺の境内。9時〜17時、無休。

出典:松山市・『坂の上の雲』フィールドミュージアム散策地図(2026年7月版)

5記念艦「三笠」|秋山真之(あきやまさねゆき)が作戦参謀として乗った旗艦

横須賀の三笠公園に保存された記念艦「三笠」と、岸壁を歩く二人の女性

『坂の上の雲』の終盤、日本海海戦で連合艦隊の作戦参謀を務めたのが秋山真之です。その旗艦「三笠」は、横須賀の三笠公園に記念艦として保存されています。

三笠は1902年にイギリスで完成した戦艦で、日露戦争では東郷平八郎司令長官が乗る連合艦隊の旗艦でした。1926年に記念艦として保存され、現存する世界最古の鋼鉄戦艦として海事遺産賞を受けています。戦後に荒廃した後、艦橋は復元されました。

海戦直前の艦橋を描いた東城鉦太郎(とうじょうしょうたろう)の絵には、東郷司令長官、加藤友三郎(かとうともさぶろう)参謀長、伊地知彦次郎(いじちひこじろう)艦長、秋山真之作戦参謀と、Z旗が描き込まれています。小説で読んだ人物の位置関係を、艦の上で確かめられます。

観覧は11〜2月が9時〜16時30分、3月と10月が9時〜17時、4〜9月が9時〜17時30分で、入艦は閉艦の30分前まで。12月28〜31日は休艦です。一般800円。京急の横須賀中央駅から徒歩15分です。

場所
神奈川県横須賀市稲岡町(いなおかちょう)82-19(三笠公園内)
作品との関係
『坂の上の雲』で秋山真之が作戦参謀として乗った連合艦隊の旗艦
観覧料
一般800円、小・中学生200円、12月28〜31日休艦
所在地稲岡町82-19、三笠公園内。京急横須賀中央駅から徒歩15分。

出典:記念艦「三笠」公式サイト・観覧時間と料金
記念艦「三笠」・艦の歴史と艦橋の絵画
記念艦「三笠」・アクセス

6司馬遼太郎(しばりょうたろう)記念館|窓越しの書斎と、本が立ち上がる空間

高い吹き抜けの壁を本棚が囲み、奥の窓から光が差す大書架

東大阪(ひがしおおさか)市の司馬遼太郎記念館では、自宅の庭の小径から、作家が使っていた書斎を窓越しに見学できます。机には万年筆と推敲(すいこう)用の色鉛筆が残されています。書斎の内部へ上がる見学は行っていません。

自宅の書庫や廊下、玄関に残る蔵書(ぞうしょ)は、1階ロビーで繰り返し上映される約7分の映像で見られます。展示棟には高さ11メートルの吹き抜けがあり、約2万冊の大書架(しょか)を配置。自宅にある約6万冊の蔵書を思わせる空間を作っています。

大書架のテーブルには「対話ノート」があり、来館者が感じたことを記せます。大書架から本は取り出せません。作品を探す場合は書籍販売コーナーで相談できます。ここには現在販売されている司馬作品の文庫本がそろい、購入した本には記念館のブックカバーが付きます。

この記念館も安藤忠雄(あんどうただお)の設計です。開館時の庭に加え、2010年春には安藤が設計した新しい庭が完成しました。ロビーにはスケッチ、図面、建設途中の写真と、100分の1の模型を展示しています。模型は2012年に寄贈されたもので、カツラの木とコルク材などで作られています。

出典:司馬遼太郎記念館・建築について

開館は10時〜17時、入館受付16時30分まで。一般800円、中高生400円、小学生300円です。月曜休館で、祝日の場合は開館して翌日が休み。9月1〜10日、12月28日〜1月4日にも休館します。個人での来館は予約不要です。

近鉄奈良線の八戸(やえ)ノ里(さと)駅から徒歩約8分、河内小阪(かわちこさか)駅から約12分。JRおおさか東線のJR河内永和(かわちえいわ)駅からは約18分です。

場所
大阪府東大阪市下小阪(しもこさか)3丁目11-18
作品との関係
司馬遼太郎の自宅書斎と約2万冊の大書架を見学できる記念館
営業時間
10時〜17時・入館受付16時30分まで、月曜休館・祝日の場合は翌日休館
観覧料
一般800円、中高生400円、小学生300円
所在地下小阪3-11-18。書斎は庭の小径から窓越しに見学。

出典:司馬遼太郎記念館・蔵書の映像
入館料とアクセス
司馬遼太郎記念館・館内案内

7姫路文学館 司馬遼太郎(しばりょうたろう)記念室|祖父の代まで暮らした播磨とのつながり

コンクリートとガラスの壁が水面に映る姫路文学館で、水辺に腰かけて本を読む女性

姫路文学館の南館1階には、入館無料の司馬遼太郎記念室があります。大阪市生まれの司馬ですが、家系は祖父の代まで播州(ばんしゅう)広村(現在の姫路市広畑(ひろはた))にあり、播州門徒(もんと)の末裔だといいます。

記念室では、黒田官兵衛を描いた『播磨灘(はりまなだ)物語』など、播磨とのつながりを執筆原稿(げんこう)、挿絵(さしえ)、歴史資料、グラフィックで紹介しています。企画コーナー「播州人を考える」も設けられています。

文学館の開館は10時〜17時(入館は16時30分まで)。月曜(祝日の場合は開館)と祝日の翌日、12月25日〜1月5日が休館です。JR・山電姫路駅前の神姫バスターミナルから約6分の「市之橋(いちのはし)文学館前」で降り、北へ徒歩約4分です。

場所
兵庫県姫路市山野井町(やまのいちょう)84(南館1階)
作品との関係
司馬遼太郎の家系と播磨のつながり、『播磨灘物語』の原稿や挿絵を紹介する記念室
入館
記念室は無料、月曜休館(祝日の場合は開館)
所在地山野井町84、南館1階。記念室は入館無料。

出典:姫路文学館・司馬遼太郎記念室
姫路文学館・ご利用案内
姫路文学館・アクセス

8高知(こうち)県立坂本龍馬(さかもとりょうま)記念館|小説の「竜馬」と、手紙を残した「龍馬」

高知県立坂本龍馬記念館の建物外観

高知県立坂本龍馬記念館では、手紙を中心とする資料から龍馬の生涯を紹介しています。館所蔵の龍馬の書簡(しょかん)は、期間を区切って真物を展示します。2026年10月10日〜12月6日に展示されるのは、慶応3年11月10日・11日付の林謙三(はやしけんぞう)宛書簡2通。暗殺された11月15日の直前に書かれた手紙でした。

館は浦戸(うらど)城跡に位置します。龍馬の生家を保存した施設ではありません。1991年に開館し、2018年のリニューアルで新館と既存館からなる施設になりました。

2026年7月1日〜12月31日は、俳優・田村心(たむらしん)による土佐弁の特別音声ガイドも貸し出しています。学芸員が作った台本で、龍馬の目線から21点を約1時間かけて紹介。料金は500円で、入館料は別です。父の心得や後藤象二郎(ごとうしょうじろう)宛書簡、暗殺現場にあった貼交屏風(はりまぜびょうぶ)などの複製が案内の対象に含まれます。

出典:坂本龍馬記念館・土佐弁特別音声ガイド

名前は、本人が「竜」の字を使った例がないことから、館では「龍馬」と表記しています。司馬の小説『竜馬がゆく』は、作者が描く人物を実在人物と分ける表記だったと、館のFAQは説明しています。

開館は9時〜17時、最終入館16時30分。観覧料は企画展開催時900円、それ以外の期間500円で、高校生以下は無料です。新館と本館を合わせた見学時間の目安は約90分。企画展開催中に、常設展だけを見る割安な券はありません。

JR高知駅のバスターミナルから、とさでん交通の桂浜(かつらはま)行きに乗り「龍馬記念館前」で下車、徒歩約2分。館が掲載する路線バス運賃は800円です。桂浜から歩く場合は、遊歩道「椿の小道」の石段と急坂を10分以上上る経路になります。

場所
高知県高知市浦戸城山830
作品との関係
『竜馬がゆく』の主人公・坂本龍馬の直筆書簡や関連資料を展示する記念館
営業時間
9時〜17時・最終入館16時30分
観覧料
企画展開催時900円、通常期間500円、高校生以下無料
所在地浦戸城山830。浦戸城跡に建つ、龍馬の手紙や資料を扱う記念館。

出典:坂本龍馬記念館・利用案内
公共交通と桂浜からの道
坂本龍馬記念館・施設について
展示紹介
龍馬に関する質問

9桂浜(かつらはま)・坂本龍馬(さかもとりょうま)像|太平洋を見下ろす、高さ5.3メートルの像

松林の丘に立つ桂浜の坂本龍馬像を、台座の下から見上げる二人

坂本龍馬記念館から遊歩道を下った桂浜の丘には、太平洋を向く坂本龍馬像が立っています。龍馬の功績を後世へ伝えようと、高知(こうち)県の青年有志が募金を集め、1928年に建てました。

像の高さは5.3メートル、台座を含めると約13.5メートル。袴にブーツを履き、懐手(ふところで)で海を眺める姿です。桂浜は月の名所として知られ、よさこい節にも唄われてきた浜で、展望台や遊歩道、土産物店も整っています。

JR高知駅からは、とさでん交通の「桂浜行き」バスで約40分です。

場所
高知県高知市浦戸(うらど)(桂浜公園)
作品との関係
『竜馬がゆく』の主人公・坂本龍馬の銅像
アクセス
JR高知駅からとさでん交通「桂浜行き」バスで約40分
所在地浦戸の桂浜公園。記念館から遊歩道を下った丘の上。

出典:高知市・観光ガイド2026(桂浜と坂本龍馬像)

10龍馬の生まれたまち記念館|家族と町から、龍馬の出発点を見る

白壁と木の格子が続く龍馬の生まれたまち記念館の入口へ歩く女性

高知(こうち)市の龍馬の生まれたまち記念館は、龍馬が生まれた城下町・上町(かみまち)に2004年に開館しました。龍馬の人間形成の基盤となった家族と町を紹介する施設です。

1階では昔の上町の町並みを半立体模型で再現し、「ある日の坂本家」と題した映像で家族の暮らしを描きます。坂本家の離れをイメージした空間もあり、来館者がメッセージを書き残せます。

展示館は8時〜19時(最終入館18時30分)で年中無休。一般370円、高校生以下は無料です。路面電車は、はりまや橋で乗り換えて「上町一丁目」で降ります。この館の観覧券の半券を長崎市亀山社中(かめやましゃちゅう)記念館で見せると、入館料が半額になります。

場所
高知県高知市上町2丁目6-33
作品との関係
『竜馬がゆく』の主人公・坂本龍馬(さかもとりょうま)の誕生地に建つ記念館
開館
8時〜19時(最終入館18時30分)、年中無休
所在地上町2丁目6-33。路面電車「上町一丁目」下車。

出典:龍馬の生まれたまち記念館・ご利用案内
同館・展示館1階
同館・高知駅から

11長崎市亀山社中(かめやましゃちゅう)記念館|龍馬と仲間が拠点にした家

濃い色の板壁と格子窓が残る亀山社中記念館と、石畳の庭に立つ女性

亀山社中は1865年、坂本龍馬(さかもとりょうま)と同志20数人が、薩摩藩や長崎の豪商・小曽根家の援助を受けて結成した商社兼私設海軍です。拠点として借りた民家は亀山焼(かめやまやき)の職人の住まいで、地名の亀山と、仲間を意味する社中から、その名で呼ばれました。

長崎市は、遺構として伝わる建物を当時に近い形に整え、2009年8月1日から記念館として公開しています。龍馬のブーツのレプリカや書簡(しょかん)の写し、志士たちの写真が並び、密談に使われたといわれる中二階の隠し部屋も階段から見学できます。名誉館長の武田鉄矢は、18歳で『竜馬がゆく』を読んで以来の龍馬ファンだと記しています。

9時〜17時(最終入館16時45分)、無休。一般650円、小・中学生と高校生320円です。高知(こうち)県立坂本龍馬記念館の入館券の半券を見せると、2割減免になります。

場所
長崎県長崎市伊良林(いらばやし)2-7-24
作品との関係
『竜馬がゆく』の主人公・坂本龍馬が長崎で結成した亀山社中の拠点を整備した記念館
開館
9時〜17時(最終入館16時45分)、無休
所在地伊良林2-7-24。9時〜17時、無休。

出典:長崎市公式観光サイト・亀山社中記念館
長崎市・入館料の減免

12風頭(かざがしら)公園|『竜馬がゆく』の一節を刻んだ文学碑

桜の咲く風頭公園で長崎港を見下ろす坂本龍馬の銅像と、柵の前に立つ二人の女性

亀山社中(かめやましゃちゅう)から石段まじりの「龍馬通り」を上ると、標高151.9メートルの風頭公園に着きます。園内には1989年に建てられた坂本龍馬(さかもとりょうま)の銅像と、1998年2月1日に建立された司馬遼太郎(しばりょうたろう)「竜馬がゆく」文学碑があります。

碑文は『竜馬がゆく』怒濤篇(どとうへん)の一節です。薩摩から船で長崎港へ入る竜馬が、後の外務大臣・陸奥陽之助(むつようのすけ)(宗光(むねみつ))に、長崎は「希望」の地であり、やがて日本回天(かいてん)の足場になると語る場面が刻まれています。碑を建てたのは、亀山社中の遺構を生かしたまちづくりに取り組む「亀山社中ば活かす会」です。

全身約3.2メートルの龍馬像は、展望台から長崎港を見下ろして立っています。長崎駅から長崎バス風頭山行きで約20分、「風頭山」バス停から徒歩5分です。

場所
長崎県長崎市伊良林(いらばやし)3丁目(風頭公園)
作品との関係
『竜馬がゆく』怒濤篇の一節を刻んだ司馬遼太郎の文学碑と、坂本龍馬の銅像
アクセス
長崎バス「風頭山」バス停から徒歩5分
所在地伊良林3丁目。「風頭山」バス停から徒歩5分。

出典:長崎市・風頭公園
長崎市公式観光サイト・龍馬通りと坂本龍馬之像

三人の人生から、作品の場面へ

三人が同じ街から、異なる場所へ進んだ物語

『坂の上の雲』の三人は、同じ松山(まつやま)から東京や大阪へ出て、別々の分野へ進みました。真之(さねゆき)は東京大学予備門から海軍兵学校へ移り、1897年にはアメリカへ留学して戦術を研究します。子規(しき)は帝国大学で哲学科から国文学科へ移った後、日本新聞社へ入り、大学を中退しました。

日清戦争では、好古(よしふる)が騎兵大隊長、真之が砲艦「筑紫」の航海士として従軍。一方の子規は新聞記者として戦地へ向かいます。軍事と文学に分かれていた三人の人生が、同じ戦争によって再び結ばれる構成です。

秋山好古(あきやまよしふる)

1859年、松山城下の歩行町(かちまち)に生まれた兄です。日清戦争に騎兵大隊長として従軍し、65歳で松山へ戻ってからは旧制北豫中学校(ほくよちゅうがっこう)の校長を6年間務めました。

秋山真之(あきやまさねゆき)

1868年生まれの弟です。東京大学予備門から海軍兵学校へ移り、日清戦争では砲艦「筑紫」の航海士として従軍。1897年にはアメリカへ留学して戦術を研究しました。

正岡子規(まさおかしき)

秋山兄弟と同じ松山から上京し、帝国大学で哲学科から国文学科へ移った後、日本新聞社に入りました。日清戦争には新聞記者として戦地へ向かっています。

坂本龍馬(さかもとりょうま)

1835年生まれの土佐の人で、『竜馬がゆく』の主人公です。小説は「竜馬」と書き、本人の手紙が残る記念館では「龍馬」と表記します。

司馬遼太郎(しばりょうたろう)

大阪外国語学校でモンゴル語を学び、学徒出陣で戦車連隊へ入った作家です。戦後は産経新聞社で記者を続けながら小説を書き、1962年に『竜馬がゆく』の連載を始めました。

出典:坂の上の雲ミュージアム・作品概要
兵庫県立美術館・司馬遼太郎の経歴

『竜馬がゆく』を読み終えた後に、龍馬の文章を読む

『竜馬がゆく』は、土佐の郷士の次男として生まれた主人公が、藩の境を越えて人と交わり、幕末の政治へ踏み出す長編です。文春文庫は全8巻。高知(こうち)の記念館には、19歳で剣術修業へ出る龍馬に父が渡した心得や、大政奉還の直前に後藤象二郎(ごとうしょうじろう)へ送った手紙を、複製で紹介する展示があります。

小説の若い竜馬と重ねたいのは、1853年に父から受け取った「修行中心得大意」。家を離れて江戸へ向かう息子に、父が守るべきことを伝えた文書です。原資料は京都国立博物館の所蔵で、高知では複製を用いて紹介しています。

出典:坂本龍馬(さかもとりょうま)記念館・音声ガイドで紹介する資料

出典:文藝春秋・司馬遼太郎(しばりょうたろう)の作品紹介

最後の手紙が向いていた先は、蝦夷地(えぞち)だった

高知(こうち)で2026年秋に直筆展示された林謙三(はやしけんぞう)宛の2通は、龍馬が最晩年にも蝦夷地へ目を向けていたことを伝えます。北海道坂本龍馬(さかもとりょうま)記念館の学芸員による解説では、二人は人材を国内の戦争で失わせず、蝦夷地へ送って海軍術を学ばせる計画を持っていました。

11月10日の手紙は、利用を考えていた大極丸の話が進まなくなったため、別の方法があれば望みを実現してほしいと伝える内容です。翌11日の手紙でも、蝦夷地の件は以前から自分も考えてきたことで、賛同すると述べています。

大政奉還の後に、新しい政府の構想を練るだけでなく、船と人材を北へ向ける計画も続けていた。亡くなる数日前の手紙には、政治上の転換点の先にある仕事が書かれています。暗殺の結末を知る読者が、その人のまだ終わっていない計画に触れられる資料です。

出典:道南の博物館による解説・龍馬と北海道
高知県立坂本龍馬記念館・直筆展示予定

三人を支える人を見ると、物語の輪郭が広がる

ドラマ『坂の上の雲』では、子規(しき)の妹・律が真之(さねゆき)を追い、船で去る彼を見送る場面が描かれます。文春文庫編集部の読み比べでは、原作の二人のやり取りはもっと少ないと説明しています。

第1巻「ほととぎす」では、真之が見舞いに来るとの知らせを律が子規に伝えます。子規は妹が赤くなったと思い、律は兄のほうが嬉しそうだと受け取る。小説は、兄妹が互いの表情を読む短い会話に真之への思いを忍ばせ、ドラマは律の行動を加えて恋心を描いています。

出典:文春文庫編集部・律と真之を原作とドラマで読み比べる

子規(しき)の「野球」は、のぼーると読む

子規は1884年、東京大学予備門にいたころにベースボールを知りました。1889年7月にはバットとボールを松山(まつやま)へ持ち帰り、松山中学の生徒に教えています。1896年には新聞「日本」の連載『松蘿玉液(しょうらぎょくえき)』でルールや道具、プレーの方法を解説しました。

新聞や文学を通じて野球を広めたことが評価され、2002年に野球殿堂入りしています。小説では文章に熱中する青年ですが、故郷へ戻る荷物に新しいスポーツの道具を入れた人でもありました。

子規が1890年の『筆まかせ』で使った雅号(がごう)「野球」は、幼名の升(のぼる)にちなむ「のぼーる」です。「やきゅう」という競技名を子規が作った、とする説明とは分ける必要があります。子規が書いた野球の紹介文と、洒落を利かせた筆名は、それぞれ別の仕事なのです。

出典:野球殿堂博物館・正岡子規(まさおかしき)

玄関の意匠(いしょう)から、俳句(はいく)の雑誌へ

子規(しき)記念博物館の玄関の扉には、俳句雑誌「ホトトギス」の表紙の意匠が使われています。ガイドシートには、扉の写真と表紙が並んで掲載され、上部の格子状の模様に共通する形を確かめられます。

雑誌「ほととぎす」は1897年に松山(まつやま)で創刊され、柳原極堂(やなぎはらきょくどう)が編集しました。1898年10月からは東京へ移り、高浜虚子(たかはまきょし)が編集を担当。俳句のほか、絵や文章も掲載される雑誌になっていきます。新聞「日本」で作品を発表する子規たちの俳句は「日本派」と呼ばれ、雑誌には読者からの投稿も集まりました。

同じガイドシートには「夏草やベースボールの人遠し」「いくたびも雪の深さを尋ねけり」「贈り物の数を尽してクリスマス」の三句が並びます。最初は夏草の向こうにいる人を遠くから見る句。二つ目では、自分で外を見に行くのではなく、雪の深さを繰り返し尋ねています。視線を置く距離と、外の様子を知る方法が、句ごとに変わります。

ベースボールもクリスマスも、明治の日本に入ってきた新しい言葉です。子規の俳句には、古くからの季節の題材と、その時代に触れた遊びや行事が同居しています。

出典:子規記念博物館・ガイドシート「あたらしい俳句」

最後まで新聞へ送り続けた『病牀六尺』

子規(しき)は1895年から脊椎カリエスに苦しみながら、俳句(はいく)や短歌の改革を進めました。1902年には、亡くなる2日前まで新聞へ随筆『病牀六尺』を発表しています。病床の狭い空間から、紙面を通じて読者へ言葉を送り続けた晩年でした。

子規記念博物館の3階は、この闘病期の文学を扱う展示室です。新聞記者として戦地へ出た2階の青年期から、身の回りを文章にする時期へと、生涯の後半をたどる構成になっています。

出典:松山(まつやま)市・子規の生涯と『病牀六尺』

龍馬の手紙では、署名や宛先も面白い

龍馬の名が「りょうま」と読まれる根拠の一つは、1867年1月20日の姪・春猪(はるい)宛の手紙です。末尾に「りよふより」と書かれ、これを現代の仮名遣いに直すと「りょう」になります。名の一部を仮名で書いた親族への手紙が、読み方を伝えています。

一方で、よく知られた立ち姿の写真で懐に手を入れている理由は、確定していません。記念館は、銃を持つ、寺田屋の傷を隠す、本を持つといった説を挙げながら、真相は不明と説明しています。

写真は、同じ一枚から複数のプリントが残るため、現存枚数と図柄の種類も一致しません。館では図柄を6種類に整理し、台やスタジオの床の段差を手掛かりに、立ち姿などの撮影場所を長崎の上野彦馬(うえのひこま)のスタジオと考えています。写真の隅に写った道具や床も、場所を調べる資料になるのです。

出典:坂本龍馬(さかもとりょうま)記念館・名前と写真をめぐる解説

戦車隊から新聞社へ、歴史を書く人になるまで

司馬遼太郎(しばりょうたろう)は大阪外国語学校でモンゴル語を学び、学徒出陣で加古川(かこがわ)の戦車第十九連隊へ入りました。満州での軍務を経て日本へ戻り、1945年、栃木県佐野(さの)で終戦を迎えています。小説の明治の軍人たちを描く作者自身にも、20代前半に軍隊で過ごした時間がありました。

戦後は京都の新日本新聞社で働き、1948年に産経新聞社へ移ります。新聞記者を続けながら小説を書き、『梟(ふくろう)の城』で直木賞を受賞した後、1961年に退社。翌1962年には『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』の連載が始まりました。記念館の書斎に至る前には、外国語の学習、従軍、新聞社での仕事という年月があります。

出典:兵庫県立美術館・司馬遼太郎の経歴

読書と旅をつなぐ、作品の歩み

小説の刊行と、読み継ぐための記念施設
  1. 1923年司馬遼太郎(しばりょうたろう)が大阪に生まれる作家
  2. 1960年『梟(ふくろう)の城』で直木賞受賞作品
  3. 1966年菊池寛賞受賞作品
  4. 1968年『坂の上の雲』新聞連載開始連載
  5. 1969年『坂の上の雲』単行本第1巻刊行書籍
  6. 1972年『坂の上の雲』新聞連載完結連載
  7. 1991年坂本龍馬(さかもとりょうま)記念館開館施設
  8. 1996年司馬遼太郎が亡くなる作家
  9. 1998年長崎・風頭(かざがしら)公園に「竜馬がゆく」文学碑記念碑
  10. 2004年高知(こうち)・上町(かみまち)に龍馬の生まれたまち記念館開館施設
  11. 2005年秋山兄弟の生家を復元公開施設
  12. 2009年長崎市亀山社中(かめやましゃちゅう)記念館が公開施設
  13. 2009〜2011年NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』放送映像
  14. 2018年坂本龍馬記念館リニューアル施設
  15. 2026年2月24日〜2027年1月3日坂の上の雲ミュージアム第19回企画展企画展

1923年に大阪で生まれた司馬遼太郎は、1960年に『梟の城』で第42回直木賞、1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』などの仕事で菊池寛賞を受賞しました。1968年から1972年まで新聞連載された『坂の上の雲』は、連載途中の1969年に単行本第1巻が刊行されています。1991年に高知県立坂本龍馬記念館が開館し、1996年に司馬が没した後も、2005年の秋山兄弟生家の復元公開や2009〜2011年のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送、2018年の坂本龍馬記念館リニューアルへと受け継がれてきました。

出典:作品と作者の略歴
文春文庫『坂の上の雲 一』
坂本龍馬記念館の沿革

旅の前後に読みたい本と、街を見るための映像

『坂の上の雲』と『竜馬がゆく』は、ともに文春文庫全8巻です。前者は松山(まつやま)から出た三人の青年、後者は土佐を離れる一人の若者が中心。短い作品から読みたい場合は、記念館で現在特集されている連作短編集『豊臣家の人々』もあります。

東大阪(ひがしおおさか)の記念館では、文庫本に加えて一部の単行本や英訳本も販売しています。2026年2月には英訳版『竜馬がゆく』の販売開始も告知されました。書籍・グッズ・カフェの収益は館の運営に使われます。

司馬遼太郎(しばりょうたろう)記念館・文庫リスト
坂の上の雲ミュージアム・360度動画

自筆原稿(げんこう)と挿絵(さしえ)から、完成する前の作品を見る

司馬遼太郎(しばりょうたろう)記念館では、2026年10月25日まで「司馬遼太郎が描く『豊臣家の人々』と関連作品」を開いています。『豊臣家の人々』は1966年9月から11か月にわたって「中央公論」に連載され、秀吉の弟、妻、甥など、一族の人物を一話ずつ描いた作品です。

展示には、秀長を主人公とする第5話「大和大納言(やまとだいなごん)」の自筆原稿と、それを掲載した「中央公論」1967年1月号がありました。三井永一(みついえいいち)による『城塞』の「秀頼」「蔵の中」、風間完(かざまかん)による『国盗り物語』の「藤吉郎」の挿絵も初公開と案内されていました。

『新史 太閤記』は秀吉が天下へ近づく過程を、『城塞』は淀殿(よどどの)と秀頼、大坂の陣を扱います。短編集の一族の顔に、秀吉の上昇と豊臣家の終幕を描いた長編を重ねる展示でした。

出典:司馬遼太郎記念館・企画展
同館・会期のお知らせ

『竜馬がゆく』の次には、同じ時代の別の主人公へ

2020年9月15日〜2021年3月14日、同館では「歳三と竜馬はどこですれ違ったか――。『燃えよ剣』と『竜馬がゆく』」という企画展が開かれました。土方歳三(ひじかたとしぞう)と坂本竜馬はともに1835年生まれ。小説の連載開始も同じ1962年で、『燃えよ剣』は週刊文春、『竜馬がゆく』は産経新聞が掲載媒体でした。

過去の展示では、二人のすれ違いが描かれた『竜馬がゆく』「片袖」の自筆原稿(げんこう)と取材ノート、京都の地図を紹介。さらに、竜馬が刀やピストルの次に示す本『万国公法』と、歳三が夢中になって読む『歩兵心得』も並べました。

一方は国際法、もう一方はオランダ陸軍の操典を訳した本です。司馬の小説では、二人が手に取る本にも、変わりゆく時代へどう対応しようとしたかが表れます。現在の展示品ではありませんが、記念館が残す開催記録に、読み比べる場面と資料名が具体的に示されています。

出典:司馬遼太郎(しばりょうたろう)記念館・『燃えよ剣』と『竜馬がゆく』を扱った過去の企画展

街の映像では、視線を自分で動かしてみる

坂の上の雲ミュージアムの360度動画リレーは、市内の学生や生徒が現地を調べ、撮影・編集した企画です。2023年度は、済美(さいび)高校が北条(ほうじょう)・風早(かざはや)、松山(まつやま)マドンナ大使が道後(どうご)温泉、インターンシップ生が松山城周辺を担当しました。

インターンシップ生が制作した「松山最高!」では、画面をドラッグして見る向きを変えられます。ミュージアムと秋山兄弟生誕地がある松山城周辺を、現地へ向かう前に映像で眺められます。

松山市の企画・松山城周辺を巡る360度動画
坂の上の雲ミュージアム・動画企画の紹介

研究所メモ|ビジネスの視点から:一冊の読者を、地域の資料へ案内する

松山(まつやま)では「新聞の壁」だけでなく、学生による360度映像が街の紹介を担っています。子規(しき)記念博物館は、見落としやすい玄関の扉と雑誌の表紙をガイドシートで結び、東大阪(ひがしおおさか)の記念館は、入れない自宅の蔵書(ぞうしょ)を7分の映像で見せます。

どの施設にも、直接は見えにくいものを別の方法で伝える工夫があります。そこから生まれる関心が、秋山兄弟の家を訪ねる、子規の俳句(はいく)を読む、司馬の別の一冊を選ぶ、といった次の行動につながります。

よくある質問

司馬遼太郎記念館の書斎には入れますか?

庭の小径から窓越しに見学する案内です。室内に入る見学ではありません。机や筆記具は、庭側の窓から眺めます。

秋山兄弟の生家は当時の建物ですか?

当時の生家は空襲で焼失し、現在の建物は2005年に復元公開されたものです。

子規記念博物館は高校生も無料ですか?

通常の観覧料は小中高校生無料です。一般500円、65歳以上250円で、特別展の料金は別に定められます。

龍馬の直筆の手紙は何を見られますか?

館所蔵の龍馬書簡は、期間を区切って真物を展示しています。2026年10月10日〜12月6日は、1867年11月10日・11日付の林謙三宛書簡2通です。その後の展示資料は、館の「龍馬直筆展示スケジュール」で案内されます。

すべての都市を続けて回る必要はありますか?

松山、横須賀、東大阪、姫路、高知、長崎は、それぞれ別の旅として楽しめます。『坂の上の雲』の人物に関心があれば松山と横須賀、作家の仕事場と家系なら東大阪と姫路、『竜馬がゆく』から歴史資料へ進みたければ高知と長崎、と読む本に合わせて選べます。

司馬遼太郎記念館の大書架の本は読めますか?

大書架は蔵書を展示する空間です。自由に抜いて読むことはできません。購入する作品はロビーの書籍販売コーナーで探せます。

桂浜から坂本龍馬記念館までは平らな道ですか?

石段と急坂のある遊歩道を10分以上上る経路です。路線バスの「龍馬記念館前」停留所からなら、館まで徒歩約2分です。坂の上の雲ミュージアム 秋山兄弟生誕地 子規記念博物館 司馬遼太郎記念館 坂本龍馬記念館