『PERFECT DAYS』の聖地巡礼|渋谷の公共トイレと浅草で、平山の日々をたどる【推し活×聖地巡礼】
青い軽自動車で渋谷へ向かい、カセットをかける。仕事を終えると自転車に乗り換え、風呂と食事を済ませ、古本を読みながら眠る。役所広司が演じる清掃員・平山の暮らしには、いくつもの決まった場所があります。ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』は、その場所へ戻るたびに、光や人の表情が少しずつ変わって見える映画です。
渋谷には、映画の出発点となった公共トイレのプロジェクト「THE TOKYO TOILET」があります。浅草には、平山が本を買い、食事をする場面を撮った店が残り、隅田川の東の曳舟には、仕事帰りに通う銭湯があります。渋谷の公園と浅草の街には、平山の仕事場と仕事帰りの日常を形作った建築や店舗、そして彼の身の回りにある本、音楽、写真の記憶が息づいています。

渋谷の公園と浅草、曳舟に残る、十一の場所
1神宮通公園トイレ|丸い庇の下を、光と風が通り抜ける

渋谷駅と原宿駅の間にある神宮通公園。安藤忠雄が設計したトイレ「あまやどり」は、円形の平面に大きな庇をかけ、外周を縦の格子で囲んでいます。格子の間から光と風を取り込み、外壁を閉じ切らない構造です。
出入口は南北の二か所。外側の通路には手洗いがあり、中心部にユニバーサルトイレを置いています。オストメイト設備やベビーチェア、着替え台も備えています。円形の建物をぐるりと囲む通路は、見た目の特徴であると同時に、出入口からの動きを受け止める場所でもあります。
設計者が選んだ「あまやどり」という名前には、公園を通る人が少し立ち寄れる軒下の感覚があります。映画はこのTHE TOKYO TOILETの一環として作られ、平山は渋谷に点在する公共トイレを、青い軽自動車で一日に何か所も回って清掃します。円形の庇、格子のつくる影、建物のまわりに立つ桜は、その仕事場の一つの姿です。
- 場所
- 東京都渋谷区神宮前6-22-8
- 作品との関係
- 平山が清掃する渋谷の公共トイレの一つ、安藤忠雄設計の「あまやどり」
- 構造・設備
- 円形平面に大きな庇と縦格子を配した建築、南北2か所の出入口と中央のユニバーサルトイレ(オストメイト・ベビーチェア・着替え台完備)
2鍋島松濤公園トイレ|五つの小屋を結ぶ「森のコミチ」

松濤の住宅街にある鍋島松濤公園では、隈研吾による五つの小屋が、小道でつながっています。一棟の建物にまとめず、用途や広さの異なる個室を分けた「森のコミチ」です。車いすを使う人、子ども連れ、身支度を整えたい人など、異なる使い方を小さな建物に配しています。
外側を覆うのは、樹皮に近い不揃いな縁を残した杉板です。角度をそろえずに取り付けた約二百四十枚の板が、通りから見える壁面に陰影をつくっています。均一な板を隙間なく並べた木造の壁とは違い、一本ずつの形と傾きが目に入ります。
内部には、サクラやメタセコイアなどの端材も使われています。木の種類や色の差を取り除かずに組み合わせた材料の使い方は、外側の不揃いな杉板とも響き合います。公園の樹木と建物が、一本の大きな輪郭にまとまらず、細かく分かれて重なる場所です。
- 場所
- 東京都渋谷区松濤2-10-7
- 作品との関係
- 平山が清掃に訪れる公共トイレの一つ、隈研吾設計の「森のコミチ」
- 建築の特徴
- 用途の異なる5つの小屋を小道で結び、外壁に約240枚の吉野杉ルーバーを取り付けた構造
3代々木深町小公園|田中泯の身体と、色のついたガラス

田中泯が演じる男が、陽の光に手を伸ばしている公園。映画公式の人物紹介は、その場所を代々木深町と明記しています。台詞で平山と関係を築く人物ではありませんが、平山はその姿に小さな敬意を抱いています。樹木を見上げる平山と、光に向けて身体を動かす男。二人の関わりが、会話の外にある場所です。
公園のトイレを設計したのは坂茂。色のついたガラスを外壁に用い、施錠すると不透明になる仕組みで知られています。中の清潔さと、誰かが潜んでいないかを、入る前に確かめられるようにするという発想でした。夜には内部の明かりが外へ広がり、行灯のように公園を照らします。
この透明・不透明の切り替えには、運用上の変更もありました。2022年12月には、低温で切り替わりに時間がかかる現象への対応として、不透明に固定する措置が発表されています。映画で見た透明な姿は建築の設計を知る手掛かりですが、ガラスを透かして個室をのぞくことを訪問の目的にはしません。見る対象は、公園から分かる建物の配置や色です。
- 場所
- 東京都渋谷区富ヶ谷1-54-1
- 作品との関係
- 平山が清掃で訪れ、田中泯が演じるホームレスの男が木々の下で踊る公園
- 建築の特徴
- 坂茂設計のカラーガラス外壁のトイレ(低温時の切り替え遅延対策として2022年12月に不透明固定措置を実施)
出典:映画公式・登場人物、THE TOKYO TOILET・代々木深町小公園、2022年12月の設備対応
4代々木八幡公衆トイレ|森の入口に並ぶ三本のキノコ

山手通り沿い、代々木八幡宮の参道へ上がる階段の近くにあるのが、伊東豊雄の「Three Mushrooms」です。丸い屋根を持つ三つの円筒が、背後の森から生えてきたキノコを思わせます。映画の出発点となったTHE TOKYO TOILETの17か所のうち、代々木八幡宮の杜の入口に建つ建築です。
三つに分かれているのは、男女用とユニバーサルトイレの空間です。棟と棟の間に道を通し、行き止まりを減らしています。個室も広く取り、高齢者や子ども連れ向けの設備を一か所だけへ集中させず、男女用にも分散させました。
外壁には小さな丸いタイルが使われ、色が段階的に変わっています。屋根の下の隙間からは、日中の自然光が入ります。森になじむ外観をつくることと、個室の内部を閉塞的にしないことを、一つの建築で扱った設計です。
神宮通公園は一つの円の中に動線をつくり、鍋島松濤公園は小屋を分散させ、ここでは三つの円筒の間を人が通る。同じ公共トイレという用途に対して、建築家の答えが違います。この差が、平山の勤務先をひとまとめの背景ではなく、固有の場所として見せています。
トイレの脇の階段を上がった先は、代々木八幡宮の境内です。映画情報サイト「地ムービー」によると、平山が木漏れ日の中で昼食をとる場面は、この境内で撮影されました。
- 場所
- 東京都渋谷区代々木5-1-2
- 作品との関係
- 平山や同僚タカシが清掃で回る渋谷の公共トイレの一つ、伊東豊雄設計の「Three Mushrooms」
- 建築の特徴
- 代々木八幡宮の森を背景に丸い屋根を持つ3つの円筒棟を並べ、棟の間を通り抜けられる構造
5はるのおがわコミュニティパークトイレ|色ガラスの箱の前で、平山とアヤが出会う

代々木5丁目のはるのおがわコミュニティパークにあるトイレも、坂茂の設計です。代々木深町小公園と同じく、鍵をかけると不透明になるガラスで外壁をつくり、ガラスの色だけを変えています。入る前に中が清潔か、誰もいないかを外から確かめられるようにする仕組みで、夜には建物が行灯のように公園を照らします。
MOVIE WALKER PRESSの紹介によると、このトイレは、平山が同僚タカシの恋人アヤと知り合う場面に使われました。代々木深町小公園のトイレが外国人女性に使い方を尋ねられる場面に使われたのに対し、同じ仕組みの建物が、別の出会いの場になっています。
- 場所
- 東京都渋谷区代々木5-68-1(はるのおがわコミュニティパーク)
- 作品との関係
- 平山が同僚タカシの恋人アヤと知り合う場面に使われた公共トイレ
- 建築の特徴
- 坂茂設計。施錠すると不透明になる色ガラスの外壁、オストメイト対応のユニバーサルトイレ
出典:THE TOKYO TOILET・はるのおがわコミュニティパーク MOVIE WALKER PRESS・映画に登場する渋谷の公共トイレ
6西原一丁目公園トイレ|昼は木の影、夜は灯る「ANDON TOILET」

坂倉竹之助が設計した、行灯のような四角いトイレです。外壁は乳白色の磨りガラス。昼は周りの植物の影が壁に落ち、夜は内側の光が、和紙を通した明かりのように公園を照らします。正面の中央にベビーチェアやオストメイト対応器具を備えたユニバーサルトイレ、その両側に男女共用のトイレを並べています。
設計者によると、以前のトイレは利用が少なく、近寄りがたい印象すらありました。便器の数や待ち時間とは別の魅力で「利用したいと思う」トイレをつくり、公園全体の印象を明るく変えることを目指しています。映画では、仕事中の平山とタカシのもとへ、タカシの幼なじみデラちゃん(吉田葵)が訪ねてくる場面に使われました。
- 場所
- 東京都渋谷区西原1-29-1(西原一丁目公園)
- 作品との関係
- タカシの幼なじみデラちゃんが、仕事中の二人を訪ねる場面に使われた公共トイレ
- 建築の特徴
- 坂倉竹之助設計。乳白色の磨りガラスの外壁で、夜は行灯のように光る
出典:THE TOKYO TOILET・西原一丁目公園 MOVIE WALKER PRESS・映画に登場する渋谷の公共トイレ
7七号通り公園トイレ|声で扉を開ける「Hi Toilet」と、夜の仕事

幡ヶ谷2丁目の七号通り公園にある、白く丸い殻のような形のトイレです。手がけたのはクリエイティブディレクターの佐藤カズー。扉の開閉から洗浄までを声で操作する「Hi Toilet」で、音声認識の仕組みは左側のユニバーサルトイレに設置されています。
公式サイトの解説によると、出発点は欧米のトイレ調査でした。多くの人が足でレバーを踏み、トイレットペーパーでドアを開け、手で触れるのを避けていたという結果です。そこから3年がかりのリサーチと計画を経て、触れずに使えるトイレに行き着きました。MOVIE WALKER PRESSによると、映画では、タカシが急に仕事を辞めた後、その担当地区まで清掃することになった平山が夜も働く場面で、この外観が映ります。
- 場所
- 東京都渋谷区幡ヶ谷2-53-5(七号通り公園)
- 作品との関係
- タカシが辞めた後、平山が夜まで清掃を続ける場面に外観が映る公共トイレ
- 建築の特徴
- 佐藤カズー制作。扉の開閉から洗浄までを声で操作する「Hi Toilet」
出典:THE TOKYO TOILET・七号通り公園 MOVIE WALKER PRESS・映画に登場する渋谷の公共トイレ
8桜橋|川の両岸へ、道が二つに分かれていく

桜橋は、隅田川の両側に広がる隅田公園を結ぶ歩行者専用の橋です。上から見ると、中央で交差するX字の形をしています。台東区と墨田区の共同事業として1985年に架けられ、浅草側の今戸と、向島側を結んでいます。
台東区フィルム・コミッションは、平山が毎日のように通る橋として、この場所を紹介しています。撮影は2022年10月、複数日にわたって行われました。川を挟んだ街並みと、夕方の空が画面の中で大きな面積を占める場所です。
渋谷で働く平山の一日は、勤務先の建築だけでは完結しません。東側の街へ戻り、川を渡り、買い物や食事をする。その生活の広がりを、桜橋の開けた風景が支えています。公園の木の下で見上げる細かな光と、遮るものの少ない川の上の空では、同じ東京でも光の感じ方が変わります。
平山は押上の古いアパートで一人暮らしをしています。朝、部屋のドアを開けて見上げる空の先には東京スカイツリーがあり、そのタワーは桜橋の上からも川越しに見えます。
- 場所
- 東京都台東区今戸1-1付近(隅田公園内)
- 作品との関係
- 平山が休日や仕事帰りに自転車で隅田川を渡り、姪のニコとも並んで走る歩行者専用の橋
- 構造・竣功
- 1985年架橋、台東区と墨田区を結ぶ平面X字型の歩行者専用橋
9地球堂書店|寝る前に読む一冊を、浅草で買う

伝法院通りの地球堂書店は、平山が古本を買う場面の撮影場所です。台東区の撮影記録によると、店内はほぼそのままの姿で使われました。映画のために整えた架空の古書店ではなく、浅草で長く営業してきた店の棚が映っています。
店主を演じるのは犬山イヌコ。平山が会計に差し出す本について、的確な書評をひと言添える人物です。夜の読書は一人の時間ですが、その一冊を手にするまでには、棚から本を選び、店主の言葉を聞くやり取りがあります。
作中の愛読書は、ウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』、幸田文の『木』、パトリシア・ハイスミスの『11の物語』。どれも「癒やしの本」と一括りにはできません。『11の物語』には、少年が引き起こす残酷な出来事を描いた「すっぽん」が収められています。平山が穏やかに暮らす人だからといって、触れている物語まで穏やかとは限らないのです。
浅草商店連合会は、地球堂を伝法院通りで五十年以上営業する古書店として紹介しています。映画の中で積み重なって見える時間は、美術だけで作られたものではありません。街の店が実際に重ねてきた時間も、画面へ入っています。
- 場所
- 東京都台東区浅草1-39-9(伝法院通り)
- 作品との関係
- 平山が休日に古本を探す場面のロケ地(店内をほぼそのまま撮影に使用)
- 店舗の特徴
- 浅草・伝法院通りで50年以上営業する古書店
出典:台東区の撮影記録、浅草商店連合会・地球堂書店、映画公式・登場する本
10浅草地下商店街・福ちゃん|仕事の後の、いつもの店

浅草1丁目の地下商店街にある福ちゃんは、平山が仕事の後に立ち寄る店の撮影場所です。台東区のロケーション紹介にも、店名と所在地が掲載されています。地上の古書店や川辺とは違い、地下の通路に店が連なる、密度の高い空間です。
仕事を終えた平山は、自転車で銭湯へ行き、この地下の店でいつものメニューを頼みます。店主を演じるのは甲本雅裕。仕事中は一人で道具を扱い、相手に説明することも少ない平山が、ここではいつもの客として迎えられ、周囲の声がある場所に身を置きます。
映画が描く「一人で暮らす」は、誰にも会わないことではありません。店主、古書店の人、公園で見かける男、職場の同僚。深く立ち入らなくても、相手のいる場所へ戻ってくる。その距離感が、平山の暮らしを孤立だけでは説明できなくしています。映画用に残されたセットではなく、現在も地下商店街で通常営業している飲食店です。
- 場所
- 東京都台東区浅草1-1-12 浅草地下商店街内
- 作品との関係
- 平山が仕事と銭湯の帰りに立ち寄り、甲本雅裕が演じる店主とやり取りする焼きそば・居酒屋のロケ地
- 立地の特徴
- 東武浅草駅・東京メトロ銀座線浅草駅直結の浅草地下商店街内で営業する店舗
11電気湯|仕事帰りの平山が、湯につかる曳舟の銭湯

京成曳舟駅から歩いて5分ほど、墨田区京島の銭湯です。1922年創業の「香藤湯」が1948年に改名し、今の名前になりました。日刊ゲンダイの2025年の記事はここを『PERFECT DAYS』のロケ地として紹介し、地ムービーも銭湯の場面の撮影場所に挙げています。仕事を終えた平山は、自転車で銭湯へ行き、それから浅草の地下の店へ向かいます。
日刊ゲンダイの記事によると、浴室の正面には赤富士のペンキ絵があり、アーチ状の天井は緑や黄色の塗装。湯には井戸水を温めて使っています。電気湯は2025年10月、京島に長く住む人たちの言葉と写真を浴室に展示する「京島の生活史」展も開きました。営業は15〜24時で、日曜は8〜12時の朝風呂もあります。
- 場所
- 東京都墨田区京島3-10-10(京成曳舟駅から徒歩約5分)
- 作品との関係
- 仕事帰りの平山が通う銭湯の場面のロケ地
- 営業時間
- 15時〜24時、日曜は8時〜12時の朝風呂あり(2025年の電気湯の案内)
出典:日刊ゲンダイ・ロケ地の銭湯「電気湯」 地ムービー・『PERFECT DAYS』のロケ地 電気湯・「京島の生活史」展の案内
建築を紹介する企画から、一人の清掃員の映画へ
四本の短編を、一つの長編に変えた発想
企画の始まりには、ヴェンダース監督へ届いた東京からの手紙がありました。公共トイレを見に来て、写真集でも短編映画でも、自由に作品を作ってほしいという誘いです。監督は2022年5月に来日し、建物だけでなく、そこで働く清掃員たちに会いました。
当初想定されていたのは、一本につき四日、四本で十六日の撮影でした。監督は、その十六日を使って一本の物語を撮る案を出します。建築を順に紹介するのではなく、建物をきれいに保つ一人の人を主人公にする。その変更によって、公園のトイレの外に、家、本屋、食事の店、橋が必要になりました。
この経緯は、監督自身がオスナブリュック映画祭に寄せた制作の説明に残っています。高崎卓馬との脚本作りは、東京での出会いからベルリンでの共同作業へ進み、メールやオンラインのやり取りを重ねました。2022年10月の東京で、十六日間の撮影が行われています。
平山を追ううちに、テスト撮影が減っていった
共同脚本・プロデュースを担当した高崎卓馬は、撮影が進むにつれてテストがなくなっていったと、映画公式のコメントに記しています。俳優が演じる人物を、段取りに沿って説明するというより、目の前にいる平山の一日を追うようになったという制作の変化です。
ヴェンダースもカンヌの公式インタビューで、役所とは通訳を介して話した一方、撮影監督と三人の間には、わずかな身振りで意図が伝わる感覚が生まれたと述べています。準備された脚本がありながら、実際の身体や場所に反応して撮る余地があったことが分かります。
平山の役を説明する長い台詞はありません。そこで重みを持つのが、道具を手に取る動き、空を見る顔、相手の言葉を受けた後の間です。台詞の少なさを、人物に何も起きていないことと取り違えないための手掛かりが、監督と共同脚本家の証言にあります。
出典:映画公式・高崎卓馬のコメント、カンヌ映画祭・監督インタビュー
「平山」という名前に残る、小津安二郎とのつながり
ヴェンダースはカンヌのインタビューで、東京での撮影が、小津安二郎の最後の映画『秋刀魚の味』から六十年後に当たったことに触れています。そして主人公を平山と呼んだことも、偶然ではないと明かしました。
ただし、この映画の東京は、小津作品の画面を再現するために集めた場所ではありません。現代の公共トイレ、青い軽自動車、スカイツリーのある空。監督が敬意を寄せる過去の映画と、撮影した時点の街が、同じ人物の名前を通じてつながっています。
『PERFECT DAYS』で古いものと新しいものが混在するのは、街だけではありません。平山はフィルムカメラとカセットを使い、仕事場には新しい設計のトイレがある。人物を一つの時代へ閉じ込めない、その組み合わせも作品の東京を形作っています。
平山の部屋と車にある、本・音楽・写真
本の選択が教える、平山の内側
平山の読む『野生の棕櫚』は、二つの物語が交互に進む小説です。映画公式によると、最初に寝床で読む本を選ぶ際、監督はすぐにフォークナーの名を挙げました。古い文庫の詰まった行間まで、就寝前の読書の場面に結び付けて考えられています。
幸田文の『木』には、樹木に向ける観察が短い文章で収められています。平山が写真を撮り、部屋で植物を育てることと、読む本の題材が呼応する選択です。一方で、ハイスミスの短編には、不穏な心理や残酷さがあります。
この三冊の並びは、平山を「静かな生活が好きな善良な人」という一つの説明で閉じない働きをしています。目に見える生活は整っていても、彼が読んでいる物語には、揺れや暗さがある。妹との再会で過去の気配が表れる場面とも、その幅は重なります。
出典:映画公式・本の選定
カセットから流れる歌は、脚本の段階で選ばれていた
映画公式の音楽紹介によると、劇中曲は脚本を書いている段階から選ばれていました。完成した画面へ後から雰囲気の合う歌を足す方法ではなく、平山が何を聴く人なのかを、物語とともに考えていたことになります。
収録曲には、ルー・リードの「Perfect Day」、パティ・スミスの「Redondo Beach」、オーティス・レディングの「(Sittin' On) The Dock of the Bay」、キンクスの「Sunny Afternoon」などが並びます。金延幸子の「青い魚」も、その一曲です。英語の歌だけで統一した懐かしい音楽集ではなく、日本の曲も平山の選択の中にあります。
カセットには、再生するための動きが伴います。一本を取り、機械へ入れ、車を走らせる。映画の音楽は、その手の動きや車内の空間と結び付いています。歌の題名だけを一覧にするより、どこで誰がかけた音かを思い出すと、平山にとっての近さが見えてきます。
出典:映画公式・使用楽曲
フィルムの小型カメラと、デジタルで撮られた夜
平山が使う小型カメラは、オリンパスのμです。ヴェンダースがオノ セイゲンとの対談で明かしたところでは、撮影監督のフランツ・ラスティグが勧めた機種でした。木漏れ日を撮る手元に置く道具として、人物の暮らしに入っています。
一方、映画本編にはデジタルカメラを選んでいます。十六日間という撮影期間の中で、夜や暗い場所を撮るための判断でした。映画の人物がアナログの道具を愛用しているからといって、制作の方法までアナログにそろえたわけではありません。
平山は撮り終えたフィルムを写真屋へ持ち込み、仕上がった写真を受け取ります。その店の主人を演じるのは、アメリカ文学の翻訳家として知られる柴田元幸です。平山が手元に残す木漏れ日の写真はフィルムで、観客が見る夜の街はデジタルで撮られています。
出典:映画.com・ヴェンダースとオノ セイゲンの対談、映画公式・キャスト一覧
日曜だけ通う、石川さゆりのママの店
平山が日曜に通う、石川さゆりが演じるママの店「紅の灯 ノヴ」。撮影には、浅草4丁目のトドロキマンション1階にあった店が使われました。台東区の撮影記録には、向かいに昔ながらの銭湯・曙湯があると記されています。撮影に使われた店は2026年2月に浅草4丁目から移転し、撮影時の場所では営業していません。
映画公式の人物紹介によると、ママが浅草で店を始めたのは、離婚してだいぶたってから。常連もつき、平山に好意を持ちながら、それをどうこうする年でもないと思っています。仕事帰りに寄る福ちゃんと違い、平山がこの店へ来るのは日曜だけ。三浦友和が演じるママの元夫・友山は、病気をきっかけに過去を振り返る旅を始め、昔の結婚相手の様子を見にやって来ます。
映画の音楽クレジットには、アニマルズの「The House of the Rising Sun」と、浅川マキによる日本語詞の同曲が並んでいます。朝の車内で平山がカセットで聴く歌が、この店ではママの歌声になる。客席にはバーの常連客として、あがた森魚とモロ師岡も出演しています。
出典:台東区フィルム・コミッション・ノヴ、映画公式・ママと友山の人物紹介、映画公式・音楽クレジット
ニコとケイコが持ち込む、平山の過去
中野有紗が演じるニコは、平山の姪です。母親とけんかをして鎌倉の家を出て、十数年ぶりに叔父を訪ねます。麻生祐未が演じるケイコは平山の妹で、ニコの母親。公式の人物紹介には、父と兄が衝突した際に何もできなかったという、彼女の負い目が記されています。
二人が現れることで、平山の暮らしは、現在の習慣だけでは説明できなくなります。清掃の仕事や一人の生活を、初めから望んでいたのか、何かを経て選んだのか。映画はその過去を長い回想で説明せず、家族が今の彼に向ける言葉と、彼の反応からにじませます。
同僚タカシを演じるのは柄本時生。平山と同じ仕事をしていても、仕事への向き合い方や、お金の話をするときの調子は違います。さらにアオイヤマダが演じるアヤは、タカシの期待する通りには動かない人物です。平山のまわりには、彼の生き方を褒めるためだけの人が置かれているわけではありません。
異なる人が入ってくるたびに、決まった一日が少し崩れる。その崩れを、平山がどう受け止めるかが、同じ朝を繰り返す映画の中で大きな出来事になっています。
平山
東京・渋谷の公共トイレの清掃員です。毎朝同じ時間に起き、植木に水をやり、缶コーヒーを飲んで仕事へ出かけます。カセットで音楽を聴き、古本を買って読む人物を、役所広司が演じました。
ニコ
平山の姪です。母親とけんかをして鎌倉の家を出て、十数年ぶりに平山を訪ねてきます。中野有紗が演じました。
ケイコ
平山の妹で、ニコの母親です。父と兄が衝突したときに何もできなかった負い目から、十数年兄と会えずにいました。麻生祐未が演じました。
タカシ
平山の同僚です。調子がよく、いつも金がないと嘆き、最近はアヤに夢中。柄本時生が演じました。
ママ
浅草で居酒屋を営む女性で、平山に好意を持っています。石川さゆりが演じました。
映画の後にも続いている、場所と制作の記録
- 1985年隅田川に歩行者専用の桜橋が完成街
- 2018年日本財団がTHE TOKYO TOILETを開始建築
- 2020年8月5日代々木深町小公園など最初のトイレが開所建築
- 2020年9月7日神宮通公園のトイレが開所建築
- 2021年6・7月鍋島松濤公園と代々木八幡のトイレが開所建築
- 2022年5月ヴェンダース監督が来日し清掃員と会う映画
- 2022年10月東京で16日間の撮影映画
- 2022年12月代々木深町小公園のガラスを不透明に固定建築
- 2023年3月24日西参道の開所で17か所がそろう建築
- 2023年5月カンヌで役所広司が最優秀男優賞映画
- 2023年6月トイレを日本財団から渋谷区へ譲渡建築
- 2023年12月22日日本で劇場公開映画
- 2024年1月アカデミー賞国際長編映画賞にノミネート映画
- 2024年4月維持管理の業務を渋谷区へ移管建築
- 2024年8月9日制作記録『逆光』を刊行本
十七か所の建築を、日々使える状態にする仕事
THE TOKYO TOILETは、日本財団が渋谷区などの協力を得て2018年に始めたプロジェクトです。16人の建築家・デザイナーが区内17か所の公共トイレを手がけ、2020年8月の代々木深町小公園などから、2023年3月の西参道まで順に開所しました。施設は2023年6月に渋谷区へ譲渡され、維持管理を含む業務も2024年4月に区へ移りました。公式のメンテナンス紹介には、日々の清掃のほか、定期清掃、外壁や換気設備などを扱う特別清掃、第三者による診断という役割が示されています。
ガラス、ステンレス、塗装面では、使う道具や洗剤の選び方も違います。強くこすって見た目をきれいにするだけでは、建物の表面を傷めてしまう。屋外の建物には、便器の周囲だけでなく、風雨や屋根にたまる落ち葉への対応も必要です。
第三者の診断では、臭いや換気能力、設備の状態、汚れの指標などを調べています。映画に映る一人の清掃員の働きの外側に、異なる専門の仕事があるわけです。平山が道具を使う場面を、単に几帳面な人物の性格表現として見るだけでは、拾い切れない部分でもあります。
出典:THE TOKYO TOILET・17か所の開所日、THE TOKYO TOILET・維持管理、日本財団・渋谷区への譲渡と移管
建物が新しくても、清掃の課題はなくならない
日本財団が2024年に公開した対談では、トイレ診断士の山戸伸孝と、トイレに関する活動を続ける佐藤満春が、公共トイレの維持について話しています。便器の陶器自体は長持ちしても、配管、扉、換気などには不具合が生じるという指摘です。
二人が視察したのは、坂倉竹之助が設計した西原一丁目公園のトイレ。山戸は、日中は太陽光を取り込んで明るく、夜は建物が行灯のように光って周囲の安全を高める点を挙げ、公共トイレとして最高峰だと評しています。
同じ対談には、当初は公共トイレを観光の対象にする発想を意外に感じた、という山戸の振り返りもあります。映画を通じて建築を見に来る人が増える一方、その場所を日常的に必要とする人もいる。旅先としての関心と、公共設備としての役割が重なったことが、このプロジェクトの特徴になっています。
『逆光』に残された、映画ができるまでの二年間
映画の制作をさらに追う本として、リトルモアから刊行された『ヴィム・ヴェンダース パーフェクト・デイズ ダイアリーズ 逆光』があります。高崎卓馬とヴェンダースによる一冊で、準備から公開までの約二年間を扱っています。
制作のエッセイやノートに加え、監督へのインタビュー、撮影時の写真、美術の設定資料、手紙、脚本などを収録。完成した映像では短く見える物や場所に、準備の段階でどのような考えがあったのかを、別の形で追える構成です。
日本語版と英語版の脚本が収められている点も、この映画の成り立ちと結び付きます。東京の場所を舞台に、日本語で話す人物を、ドイツの監督と日本の脚本家が考えた。その共同作業を、画面の印象だけでなく、文章の段階から読むための資料です。2024年8月発売、二百十六ページの書籍です。
出典:リトルモア・『逆光』書誌
公開と受賞の歩み
2023年の第76回カンヌ国際映画祭で、役所広司は本作の演技により最優秀男優賞を受賞しました。日本では同年12月22日に公開され、その後、第96回米国アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされています。
映画公式サイトでは、ヴェンダース、役所広司、田中泯のインタビュー映像を公開しています。役所は普段あまり語らない役作りについて、田中泯はダンサーの目から見た役所の芝居と、ラストシーンで起きていたことについて話しています。
出典:台東区・公開とカンヌ受賞の記録、リトルモア・作品紹介、映画公式・インタビュー
研究所メモ|主人公の仕事から、街を見る目が変わる
『PERFECT DAYS』では、著名な建築家の名前より先に、清掃する人の動きが目に入ります。建物を使える状態にする仕事を主人公にしたことで、観客は形の美しさと、その美しさが保たれる時間を同時に意識します。
古書店や食事の店も、名所として列挙されるのではなく、平山が何度も戻る場所として映ります。作品が街へ加えたのは、新しい建築だけではなく、すでにある仕事や店を見つめる理由でした。
出典
よくある質問
平山は実在の清掃員ですか?
役所広司が演じる架空の人物です。監督は実際の清掃員と出会ったことを企画のきっかけに挙げていますが、映画は高崎卓馬と共同で脚本を作った物語です。
渋谷のトイレは誰が設計していますか?
THE TOKYO TOILETでは、16人の建築家・デザイナーが区内17か所を手がけました。神宮通公園は安藤忠雄、鍋島松濤公園は隈研吾、代々木深町小公園は坂茂、代々木八幡は伊東豊雄の設計です。
透明なトイレはどこにありますか?
渋谷区富ヶ谷1-54-1の代々木深町小公園です。坂茂が設計し、施錠でガラスを不透明にする仕組みを採用しています。低温への対応で不透明に固定された運用の記録もあります。
平山が通う古書店はどこですか?
浅草1-39-9、伝法院通りの地球堂書店です。台東区の記録では、店内をほぼそのまま撮影に使ったと紹介されています。
浅草の二つの飲食店は何ですか?
仕事帰りに寄る地下商店街の福ちゃんと、日曜に通うママの店「紅の灯 ノヴ」です。ノヴの撮影に使われた浅草4丁目の店は2026年2月に移転しており、撮影時の場所では営業していません。
平山が通う銭湯はどこですか?
墨田区京島の電気湯がロケ地です。京成曳舟駅から歩いて5分ほどで、1922年創業の銭湯を1948年に改名しました。営業は15〜24時、日曜は朝風呂もあります。
映画に登場する本は何ですか?
フォークナー『野生の棕櫚』、幸田文『木』、ハイスミス『11の物語』が映画公式で紹介されています。制作資料を読む本には、高崎卓馬とヴェンダースによる『逆光』があります。
主人公のカメラは何ですか?
オリンパスのμです。監督はオノ セイゲンとの対談で、撮影監督の推薦によって選んだと説明しています。



