推し活クロニクル 1950年代|美空ひばりら「三人娘」、街頭テレビの力道山、紅白歌合戦の始まり、少年マガジン・少年サンデーが同時創刊
1950年代の日本では、映画やラジオに加え、1953年に始まったテレビ放送が新しい娯楽になりました。テレビがまだ高価だったころ、駅前や広場の「街頭テレビ」を大勢で囲んで番組を見るのは、よくある光景でした。
歌手の公演に出かけ、映画や雑誌でも推しを見つける。さらに画面越しにスポーツ選手を応援する。スターを知り、その活躍を追う方法が増えていった時代です。

歌と映画で活躍した、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ
美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみは、いずれも1937年生まれの歌手です。それぞれの歌で人気を得た3人は、映画でも共演するようになりました。
1955年の映画『ジャンケン娘』で3人が初共演し、翌年以降も『ロマンス娘』『大当り三色娘』と共演作が続きます。「三人娘」と呼ばれたこの顔ぶれを、一つの作品で楽しめました。三人娘の共演作
今も、推し同士の共演や、好きな組み合わせの出演を楽しみにすることがあります。当時の映画にも、一人ひとりの人気に加えて、スターがそろうことの魅力がありました。
紅白歌合戦はラジオから。年末にはレコード大賞も誕生
第1回NHK紅白歌合戦は、1951年1月3日にラジオで放送されました。出場歌手は紅白合わせて18人。現在のような大みそかのテレビ番組として始まったわけではありません。第1回の記録
1953年の第4回からは、大みそかにテレビでも放送されるようになります。推しの歌声に加えて、その姿やステージの様子も家庭へ届く番組となりました。第4回の記録
1959年には日本レコード大賞が創設され、水原弘の「黒い花びら」が第1回の大賞に選ばれます。レコードの売れ行きとは別に、音楽のつくり手たちが作品を評価する賞が始まりました。日本作曲家協会
日劇でロカビリーが人気に。映画スターも歌う
1958年2月、東京・有楽町の日本劇場で「日劇ウエスタンカーニバル」が始まりました。平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスらが出演し、第1回は1週間で延べ4万5,000人を動員したと紹介されています。nippon.com
彼らが歌ったロカビリーは、アメリカで生まれた、カントリーとリズム・アンド・ブルースをもとにした音楽です。歌だけでなく、髪を後ろへなでつけるリーゼントや細身のズボンも注目されました。PBS・ロカビリーの解説
客席から紙テープが飛び、ステージへ上がろうとする観客もいたと記録されています。歌手を直接見たいという熱気が、劇場に集まっていたことがわかります。日劇ウエスタンカーニバルの記録
映画では、石原裕次郎が1956年の『狂った果実』で主演と歌手デビューを果たしました。翌年の『嵐を呼ぶ男』などでも人気を得ます。俳優の出演作を見るファンが、同じ人の歌も聴くという楽しみ方がありました。石原裕次郎の記録
力道山を見ようと、街頭テレビにも人が集まる
1953年、NHKと日本テレビがテレビの本放送を始めました。家庭で買うにはまだ高価なテレビを、駅前や広場で見られるようにしたのが「街頭テレビ」です。国立公文書館
1954年2月、力道山・木村政彦組とシャープ兄弟のプロレスが中継されると、都内・近郊の街頭テレビに観客が集まりました。新橋駅西口では約2万人が詰めかけ、交通が止まったと報じられています。東京新聞
野球では1959年6月、昭和天皇・皇后が観戦した巨人対阪神の「天覧試合」が話題となります。長嶋茂雄が9回裏にサヨナラ本塁打を打ち、巨人が勝ちました。この一打は、テレビ中継でも見守られています。天覧試合の記録
映画館の入場者は延べ11億人。俳優の所属にも決まりがあった
1958年の映画館の入場人員は、年間で約11億2,700万人に達しました。これは延べ人数で、同じ人が何度も見に行った分も含みます。テレビが始まったあとも、映画館は大きな娯楽の場でした。日本映画製作者連盟
一方、俳優が出演できる作品には、映画会社の取り決めが関わっていました。1953年、松竹・東宝・大映・新東宝・東映が結んだ「五社協定」は、専属俳優や監督の引き抜きなどを禁じた協定です。文化庁
推しがいる会社と別の会社の作品で、自由に共演できるとは限りませんでした。ファンが見たい組み合わせも、本人の希望だけでは実現しない時代です。
アニメーションでは、東映動画が1958年に『白蛇伝』を公開します。日本初の長編カラーアニメーション映画で、テレビアニメが広まる前にも、映画館で国産アニメを楽しむ機会がありました。東映アニメーション
『鉄腕アトム』を読み、少女誌の付録を楽しむ
1952年、手塚治虫の『鉄腕アトム』の連載が月刊誌『少年』で始まりました。読者が漫画でアトムに出会ったのは、1963年のテレビアニメより11年も前です。手塚治虫公式サイト
少女向けの雑誌では、1950年代に『なかよし』『りぼん』が創刊されました。当時の少女誌で読者を引きつけたのは、漫画に加えて、付録やスターが登場する誌面です。明治大学米沢嘉博記念図書館
1959年3月17日には、『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』が同時に創刊されます。毎月の雑誌に加え、毎週新しい号を読む選択肢が増えました。創刊の記録
作品を読んで好きなキャラクターができ、その姿を描いた付録も楽しめました。漫画と付録が一緒になった雑誌は、読む楽しみと手元に置く楽しみを兼ねたものです。
『明星』の写真ページと、推しに送るファンレター
芸能雑誌『明星』は1952年に創刊され、1955年6月号で発行部数140万部に達しています。先行する『平凡』とともに、歌手や映画スターの情報を読む雑誌として親しまれました。田島悠来『出版研究』46号
雑誌と関わるラジオ番組もあり、誌面で見たスターの声を、放送でも聴けました。同論文
この10年の主な出来事
- 1951年1月第1回NHK紅白歌合戦をラジオ第1で生放送音楽
- 1952年4月『鉄腕アトム』が光文社『少年』で連載開始アニメ
- 1952年8月集英社が芸能雑誌『明星』を創刊メディア
- 1953年2月・8月NHKと日本テレビがテレビ本放送開始メディア
- 1953年9月映画大手5社が五社協定、専属俳優の引き抜きを禁止ビジネス
- 1954年2月力道山組対シャープ兄弟戦、街頭テレビに群衆が殺到スポーツ
- 1955年11月三人娘の初共演映画『ジャンケン娘』が封切り音楽
- 1956年1月美空ひばりの浅草国際劇場公演が混乱、ファン1人が死亡音楽
- 1958年2月第1回日劇ウエスタンカーニバル、1週間で4万5,000人動員音楽
- 1959年3月『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』同時創刊メディア
- 1959年6月後楽園球場の天覧試合、長嶋茂雄がサヨナラ本塁打スポーツ
- 1959年12月第1回日本レコード大賞、水原弘「黒い花びら」が大賞音楽
この時代の言葉
- 街頭テレビ
- 受像機が家庭に普及する前、街頭や広場の受像機に群衆が集まって視聴した光景を指す
- ロカビリー
- 1958年の日劇ウエスタンカーニバルを機に広まった音楽とファッションの潮流
- 三人娘
- 美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの3人を指す呼称。1955年の映画「ジャンケン娘」で初共演
- 五社協定
- 1953年に映画大手5社が結んだ、専属監督・俳優の相互引き抜きを禁じる取り決め
「三人娘」は人気歌手の組み合わせ、「街頭テレビ」は番組を見た場所の呼び名です。音楽のジャンルを表す「ロカビリー」など、当時の娯楽を語る言葉も広まりました。
次の1960年代にはテレビが家庭へ広まり、歌番組、テレビアニメ、グループサウンズなどが日々の楽しみに加わります。
よくある質問
1950年代は推し活史でどんな10年でしたか?
推しを見る手段が、映画館・劇場・雑誌・ラジオ・街頭テレビに分かれて競い合った10年です。テレビはまだ各家庭になく、人は推しを見るため外へ出て群衆になりました。
「三人娘」とは誰のことですか?
1937年生まれの美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの3人を指す呼び名です。1955年11月1日封切りの『ジャンケン娘』で初共演し、『ロマンス娘』『大当り三色娘』と共演作が続きました。
NHK紅白歌合戦はいつ始まったのですか?
第1回は1951年1月3日にラジオ第1で生放送されました。観客は約300人、出場は紅白各9名の計18名です。大みそかに移り、テレビでも放送されるようになったのは、1953年12月31日の第4回からでした。
日劇ウエスタンカーニバルはどんな公演でしたか?
1958年2月8日に東京・有楽町の日本劇場で始まった興行です。平尾昌晃・山下敬二郎・ミッキー・カーチスが出演し、初日9,500人、1週間で4万5,000人を動員しました。
1950年代のファンはどうやって推しとつながっていたのですか?
雑誌の読者投稿欄と人気投票、ラジオ番組への応募はがき、そしてファンレターです。1957年には『ファンレターの書き方』という指南書も出版されています。
第1回日本レコード大賞はいつ、誰が受賞しましたか?
1959年12月27日に文京公会堂で開かれ、大賞は水原弘「黒い花びら」でした。歌唱賞はフランク永井です。レコード会社専属の作曲家団体が創設した賞でした。



